「メキシコ映画大回顧」:その(4)
もうとっくに終わったが、終盤に見た2本のホラー映画についても触れておきたい。チャノ・ウエルタ監督の『魔女の鏡』(1960)と『アルカルダ 鮮血の女修道院』(1977)だが、それぞれ75分、78分という短さがいかにもジャンル映画らしい。
もうとっくに終わったが、終盤に見た2本のホラー映画についても触れておきたい。チャノ・ウエルタ監督の『魔女の鏡』(1960)と『アルカルダ 鮮血の女修道院』(1977)だが、それぞれ75分、78分という短さがいかにもジャンル映画らしい。
今日まで開催の東京都写真美術館を中心にした「恵比寿映像祭」に行った。今年で17回目で毎年意味不明のテーマ(今年は「Docsーこれはイメージです」)を掲げたこの無料展覧会が私は苦手だが、今回は小田香と小森はるかの作品が抜群によかった。
これまた1年以上放っておいた本、伊藤彰彦『仁義なきヤクザ映画史 1910-2023』を読んだ。もともと「ヤクザ映画」自体をあまり見ていなくて、山根貞男さんや蓮實重彦さんがほめる東映の任侠映画を十数本見たくらい。
島崎今日子著『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』をようやく読んだ。『週刊文春』の連載の時に気になったので1年以上前に買っていたが、そのまま放っておいた。ジュリーという存在は、私にとってはどこかピンと来なかったからかもしれない。
昨日終わった「メキシコ映画大回顧」だが、終盤にようやく暇ができて見に行ったのは「ルベン・ガメス」作品集。チラシに「1965年に「ヌエボ・シネ」の流れを汲み、保守的な映画産業の刷新を問いかけるかたちで始まった「第1回実験映画コンクール」。 そこで『秘められた公式』が一位に輝いたルベン・ガメス (1928―2002)の4作品を上映」と書かれていた。
ノーベル賞を取った韓国の女性作家、ハン・ガンは、最近『すべての、白いものたちの』と『少年が来る』を読んだが、その詩的で内的な世界が妙に気になって『菜食主義者』を読んだ。今回はこれまでの2作と違ってずいぶん物語性が強く、あっと言う間に読んだ。
死ぬと決めた日の前夜、親しい友人とバスター・キートンの『セブン・チャンス』を大笑いしながら見る。そして翌日、黄色の上下に身を包み、テラスのソファで静かに眠る。あんな死に方ならいいなあ。先日、映画館で見たペドロ・アルモドバル監督の『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』のことだ。
このブログが便利なのは、あとから自分がいつ何をしたかがわかること。ちょうど日記や手帳を見るように、見た映画や展覧会、読んだ本などがいつなのか、ほぼわかる。この歳になると見た映画さえもさっぱり忘れてしまうから、自分でブログ内検索をすることも多い。
映画の理論系専攻を希望する学生が増えたと書いた。これにはもう1つ理由がある。理論系では同時に「映画ビジネス」も教えるからだ。大学で「映画ビジネス」というのは、普通に考えたら教えるのが一番難しそうだ。
新聞にはよく「続きもの」がある。あるテーマをシリーズで何回かに分けて書く記事のことだ。私は新聞社を離れてもう16年もたつのに、ここでよく「続きもの」を書く。中には一回目で終わることもあるが、それでも「続きもの」を思いつく瞬間が楽しく、先のことを考えずに始める。
いつの間にか「メキシコ映画大回顧」が始まって、ようやく2本見たらもっともっと見たくなった。ところが全く時間が取れない。大学は学期末試験と採点、ゼミ誌指導、卒論審査に加えて修論や博論の審査と続く。赤ペンを持って他人の文章を直すだけで丸一日が過ぎてゆく。
ノーベル賞を取った韓国のハン・ガンは、ここに先日書いたように『すべての白いものたちの』が文庫になっていたので読んだ。その静かで詩的な独白に惹かれて、次に買ったのが単行本の『少年が来る』。
上映中の吉田大八監督の映画『敵』の主人公は私のようだ、と何度か言われた。私は東京国際映画祭で見たが、確かに「元大学教授」という設定で、かつての教え子の美女や若い女性に妄想をする姿はいかにも私にありそうだ。そのうえ、その教授の専門は「フランス演劇」で、時々フランス語の原書を読むところなどもちょっと近い。
母の七回忌で九州の実家に帰った。実家といっても両親亡き後に姉夫婦が住んでいる家で、そうなるともはや「自分の家」という感じはだんだん薄れてきた。少し時間があったので、家の周囲を散歩してみた。
いつの間にか国立映画アーカイブで「メキシコ映画大回顧」が始まっていた。この特集名を聞いて笑ったのは、2001年に同じ会場で私が企画した「イタリア映画大回顧」を思いだしたから。「大回顧」という時代がかった言い方が、ラテンの国にはふさわしいのかもしれない。
日本の大学に大学院が増えたのは文部省(当時)の「大学院重点化」からだと書いたが、これは1990年に東大から始まった。大学院生の数を数倍に増やし、文部省から別予算が出たので教員は「大学院教授」と名乗った。実際はほとんどが学部でも教えていたが、そうなった。
もう1月も半ばを過ぎたので、「年末年始」は終わりにするが、最後に「映画ではない映画」をもう1本取り上げたい。今年最初に見た試写は、3月1日(土)公開の小田香監督『Undergroundアンダーグラウンド』だった。これはいったい何だろうか。
森美術館で9月からやっていた「ルイーズ・ブルジョア展」がこの19日に終わるので慌てて行ってきた。地下鉄でポスターを見て、「地獄から帰ってきたところ。言っとくけど、すばらしかったわ」という副題というか、作家の言葉が気になった。
相変わらず「映画ではない映画」ばかり見ている。これまた年明け早々に見たのが、ヴェリコ・ヴィダグ監督の『キノ・ライカ 小さな町の映画館』。映画館を作るドキュメンタリーで、これもまた「映画をめぐる映画」の一本。
博士の謎は、実は今の大学院の本質的な問題に関わっている。1990年代から文科省の「大学院重点化」で大学院の学生数が急に増えた。一方で経団連の圧力もあって、もっと「実社会に役立つ学問」をという動きも強まった。例えばかつて大学でかなり教えていたフランス語やドイツ語は推奨せず、英語を中心にするという方向だ。
安田淳一監督の『侍タイムスリッパー』もまた映画をめぐる映画である。去年8月に1館で始まって、9月にはギャガが配給に加わってシネコンでの展開が始まり、今では300館で上映されて興収は10億円を超した模様。『カメラを止めるな!』(2018)の快進撃に似ているので比べる人も多い。
かつては博士号を取るのは理系がほとんどで、文系の場合は海外で取得する場合が多かったと書いた。それが近年国内の文系でもホイホイ出すようになったが、博士号を取るには「博士論文」を提出しないといけない。出すだけではなく、その後「審査」を受けて受理されることが必要だ。
考えてみたら、昨年末からいわゆる「映画」ではないような映画ばかり見ている。ドキュメンタリー『どうすればよかったか?』はおよそ映画的な美学も娯楽もなく、ただ描かれる現実の強さに驚く作品だった。
だいぶ前から草野なつか監督の『王国(あるいは、その家について)』がすごいという話は聞いていた。もともと愛知芸術文化センターの依頼で作った64分版が2017年にできて、それをふくらました150分バージョンが2018年にできた。
不思議なことに、年末になると「ああ今年も終わりだ」と思う。今年はどんな年だったか考える。かつては年賀状を書くという行為があった。一年前に来た年賀状を読みながら住所、名前を書いて、さらに一言書いた。長年会っていないと書くことがなく、思い悩む。
時々、フランス映画が見たくなる。というか、フランス語を聞いてフランス人特有の表現や仕草や行動を眺めるのは、何となく自堕落な愉しみだ。そんな気分にピッタリの映画を見つけて劇場に行ったのが、ジャンヌ・バリバール主演の『山逢いのホテルで』。
かつて「末は博士か大臣か」という言葉があった。もともと明治の流行歌からきたらしいが、私が小さい頃、昭和40年代くらいまではよく使った記憶がある。明治以来の立身出世主義が、昭和にはまだ残っていたのだろう。
スペイン映画『太陽と桃の歌』を劇場で見た。ベルリンの金熊賞だし、監督がカタルーニャ出身のカルラ・シモンという1986年生まれの女性というのも気になった。結果は、今はこんな地味な映画が最高賞かとちょっと驚いた。
昨朝の「朝日」で高階秀爾さんの追悼記事を神戸大学教授の宮下規久朗さんが書いていて、あっと驚いた。宮下氏は東大の高階氏の教え子だし、彼の近年の旺盛な著作活動からして普通に言えば何も異存はないはずだが、個人的におかしかった。
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