1年ぶりの海外で考えたこと:その(2)
今から30年ほど前、蓮實重彦さんとパリで会った時に彼は言った。「夏を1ヵ月パリで過ごすと、その前のひと月と帰国後のひと月、ほぼ3ヵ月が仕事になりませんね」。当時の私はその意味がわからなかった。
今から30年ほど前、蓮實重彦さんとパリで会った時に彼は言った。「夏を1ヵ月パリで過ごすと、その前のひと月と帰国後のひと月、ほぼ3ヵ月が仕事になりませんね」。当時の私はその意味がわからなかった。
短い海外旅行から帰国したが、今回一番驚いたのは、美術館などに「シニア料金」で入れたこと。これだと「学生」などと同じく半額から2/3くらい。ある宮殿に「Pensioner=年金生活者」と書いてあったので聞いたら、「65歳以上の意味です」と言われた。
10月18日まで開催の「百花繚乱 大英博物館日本美術コレクション 海を越えた江戸絵画」展を見た。正確に言えば「上野・大牟田・ブエノスアイレス」展を見に行ったついでに、同じ美術館でやっているから見た。
実は現在海外にいて、飛行機に何度も乗っている。そんな時、遅れないで無事について欲しい、とひたすら思う。最初に国際線に乗ったのは1984年3月だから40年以上前だが、幸いにして事故と言えるものは経験していない。ただ小さなトラブルはなかったわけではない。
大阪の中之島美術館でフェルメールの《真珠の首飾りの少女》をメインにした展覧会が開かれて、大騒ぎになっている。日時指定の入場券は3000円なのに応募者多数で抽選制らしい。展示されているのはこの作品以外に、初期フェルメールが1点とほかのオランダ絵画10点のみ。
ミケランジェロ・アントニオーニの『赤い砂漠』(1964)を劇場で見た。今回の4K修復版の音と色の強度は、映画館で見ると震えが来るほど。冒頭、海岸の工場地帯をジュリアーナと息子が歩く。不協和音の歌声に工場の騒音が混じり、焦点のボケた工場や鉄塔の群れが揺れる。
自宅には日本美術のカレンダーがかかっていて、8月は江戸時代の久隅守景作《納涼図屏風》だった。東京国立博物館所蔵の「国宝」だが、カレンダーには親子三人がくつろぐ姿を拡大してかなりの精度で印刷してある。
ポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラの第1回長編『アニキ・ボボ』(1942年)を久しぶりに見た。前に見たのはたぶん1995年頃のポルトガル映画祭ではないか。全く記憶にないが、今回見たらなかなかよかった。
東京都美術館で開催中の「この場所の風景 上野・大牟田・ブエノスアイレス」展を見た。「大牟田」がひっかかったから。それも「開館百周年記念」企画。「上野」はこの美術館があるから普通。アルゼンチンの「ブエノスアイレス」はかつては移民が多かったから、芸術家もいただろうと思う。
中学の頃からなぜか映画が好きになって大学生の時にはパリまで映画の勉強に行ったが、大人になってからの仕事は長い間美術が中心だった。「美術」というより、主な仕事は展覧会を作る「ランカイヤ」だった。そうして働きながら、たまに映画祭を企画したり映画の製作や配給への出資を担当して、いつも美術と映画の違いを考えていた。
岩下志麻が昨年3月に亡くなった夫・篠田正浩との思い出を語る『同志として妻として「運命の人」篠田正浩と歩んだ道』を読んだ。いわゆる美人女優が二枚目の夫の監督について語ると聞くと「おのろけ」のようで買う気が薄れるが、「聞き手」となった友人の石飛徳樹さんが送ってくれた。
9月18日公開の清水崇監督『八つ墓村』を見た。もちろん横溝正史の金田一耕助シリーズの有名な原作(1949-51に連載)があり、さらには野村芳太郎監督の1977年版があり、さらには1996年の市川崑監督版があり、テレビのシリーズもたくさんある。さてこのうえ何を、という感じだが、これが意外におもしろかった。
来年3月に大学を退職するので、研究室を引き払わなければならない。すると、そこにある本とDVDは大学への寄贈分を除いてすべて自宅に引き取ることになる。すでに自宅は本やDVDで溢れているので処分が必要だ。
マルコ・ベロッキオ監督の『私の中に流れる血』を劇場で見た。2015年のヴェネツィア国際映画祭は「読売」に書いたので、コンペのこの作品は見ているはずだが、ほぼ記憶がない。そのうえ、7月25日から公開されていることも全く知らなかった。
久しぶりに江戸東京博物館に行った。ブログのいいところは検索すれば自分の過去の行動がわかることで、この博物館に行ったのは2013年10月に「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」展を見に行ったのが最後らしい。今回行こうと思ったのは、常設展をリニューアルしたというニュースを聞いたから。
世界には、ポルトガルという国を好きになる映画監督がいるようだ。かつてフィンランドのアキ・カウリスマキ監督を日本に招待しようと連絡したら、事務所から毎年秋から冬はポルトガルで過ごしているという返事が来たことを思い出す。
また、アーティゾン美術館に行った。「エットレ・ソットサス 魔法がはじまるときデザインは生まれる」展と「瀧口修造 書くことと描くこと」展を見るためだが、最初はさほど気が進まなかった。ところが行ってみて驚いた。
会社を65歳の誕生日の月末に辞めた友人は、失業保険をもらうためにハローワーク(なんという日本語!職安でいいのに)に月一回通うという。そして今後の仕事で何ができるかを書き込む。資格とか、できる仕事とか。
2023年に『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』という新書を出した。急に死んだ時に、唯一の単著が『美術展の不都合な真実』(2020年)という暴露本だと困るというのが書いた最大の理由だったが、『映画大国』を書いたことは思わぬ「効果」を生んだ。
レベッカ・ズロトフスキ監督の『プライベート・ケース』を見て、久しぶりにフランスの作家映画らしさを味わった。「フランスの作家映画」というのは必ずしも誉め言葉ではない。実に凝ってはいるが、日本で一般的にはちょっと違和感のある映画といったらいいのか、人間の異常な恋愛や心理を執拗に追う映画を指す。
前にも書いたように新書は本当にいろいろで、目が覚めるような画期的な本もあるが、本当に中身のないものもある。最近読んだ加藤喜之『福音派ー終末論に引き裂かれるアメリカ社会』はそのどちらでもなく、十分に読み応えはあるが途中でうんざりする本だった。
エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』を劇場で見た。初長編だが、情けないことに自分でも見たかどうか自信がなく、見始めてすぐに「初めてだ」とわかった。それくらい、この監督のその後の映画とは大きく違った。
65歳の夏の率直な感想は「高い」と「暑い」のふたつ。「高い」はもちろん物価が高いということで、この半年でずいぶん違う。外食は昼のランチを千円以内で食べるのがなかなか難しくなった。1200円や1500円に驚かなくなった。
東京都写真美術館で9月21日(月)まで開催の「出光真子 おんなのさくひん ある映像作家の自伝」に行かねばならない。これはビデオアートで映画ではない、などと言っている場合ではない。映画好きも美術好きも、見ればびっくりするだろう。
9月18日公開の松竹配給『八つ墓村』の学生向け試写を大学で行った。この種の試写は通常、配給会社からの依頼でやることが多い。学生の反応を知りたい、コメントが欲しい、SNSで広めて欲しいといった理由で頼まれる。
今週末、26日(日)まで開催の国立映画アーカイブの「再訪 日本の映画ポスター芸術」をようやく見た。実は「再訪」とも書いてあるし、自分はすべて見たことがあるので今さら見る必要はないかと思っていた。
先日、教え子3人と飲む機会があった。今年の3月に卒業したばかりだが、就職してどうだとか、私はもうすぐ定年になるとか、話は尽きない。安い居酒屋でたくさん酒を飲んで実に楽しいひと時だったけれど、2時間くらいたつと「もうたくさん」という気分になった。
60歳を過ぎてから、「病気の疑い」が増えた。一昨年は健康診断で緑内障の可能性を指摘されて、眼科で精密検査を受けたが問題なかった。昨年は「胃粘膜下腫瘍の疑い」と言われて胃カメラで精密検査をしたが、これも問題なかった。
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)と言えば、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカやルキーノ・ヴィスコンティらが確立したネオレアリズモを大きく変容させた存在として知られる。
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