『イッツ・ノット・ミー』に当惑
レオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』を劇場で見た。42分しかなく、これでシニア料金1200円は高いと思ったが、カラックスがゴダール風の作品を作ったというので見たくなった。
』
レオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』を劇場で見た。42分しかなく、これでシニア料金1200円は高いと思ったが、カラックスがゴダール風の作品を作ったというので見たくなった。
』
イタリア映画祭は、開催時期、場所、規模(本数)など私が2001年の始めた時からほとんど変わっていない。ついでに言えばチラシやパンフのデザイナーや判型、印刷会社まで同じ。作品選択のテイストまで私が選んでいた時とかなり似ている気がする。
アーティゾン美術館は、今一番いい時間を過ごせる都心のスポットではないだろうか。銀座や日本橋に近い場所に広めの空間が3フロアーあって、おおむね5、6階が企画展で4階が常設で、見終わるといつも深い充実感を味わう。
もうイタリア映画祭はとっくに終わったが、メモとして書いておきたい。マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ監督は、『ペッピーノの百歩』(2000)と『輝ける青春』(2003)がとにかくすばらしかった。前者は2001年の第一回のイタリア映画祭の初日の夜に上映された「オープニング作品」だった。
アントワーヌ・ド・ベック&ノエル・エルプ『エリック・ロメール ある映画作家の生涯』を読んだ。実は4月17日刊の拙著『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』で2度引用しているが、最初は仏語の原著を自分で訳していた。ところが去年の12月に翻訳が出たのを知り、3月の再校の段階でそちらからの引用にした。
少し前になるが、ポン・ジュノ監督の『ミッキー17』を劇場で見た。彼がアメリカで作った『スノーピアサー』や『オクジャ』が私には母国で撮った『グエムル』などに比べてどこか絵空事に見えたので、どうしようかと思っていたが、予告編で見たくなった。
イタリア映画祭が25年目という。私が2001年に始めた映画祭だが、こんなに続くとは思わなかった。「私が始めた」と書いたのは誇張ではない。イタリア大使館から、2001年に「イタリア年」をやるので美術、音楽、映像などの企画を出して欲しいと言われたのが、その2年以上前だったと思う。
森美術館の片岡真美館長の講演を聞く機会があった。かつて長年、展覧会屋(ランカイ屋)をやっていたので、行政出身でない館長クラスは知り合いが多い。というか、若い頃に個性的な活動をしていた美術館学芸員は、だいたい大学教授か館長になっている。
5月9日公開のオリヴィエ・アサイヤス監督『季節はこのまま』をオンラインの試写で見た。いわゆる「コロナ禍」の外出禁止令の時期を描いた映画という意味では、1週間前に公開されたロウ・イエの『未完成の映画』と同じだが、雰囲気は全く違う。
買っておいた麻田雅文著の新書『日ソ戦争』をようやく読んだ。オビに加藤陽子、小泉悠の両氏絶賛だし、去年の新書大賞2位という。そもそも「日ソ戦争」というのは何か。「第二次世界大戦末期にソ連がドサクサに紛れて参戦した」くらいに思っていたが、とんでもなかった。
5月9日公開のジャ・ジャンクー監督『新世紀ロマンティクス』を試写で見た。最近の作品は、『山河ノスタルジア』(2015)も『帰れない二人』(2018)も20年ほどの中国の激変を生きる男女を描いたもので、強い感銘を受けた。
5月2日公開のロウ・イエ監督『未完成の映画』を見た。最近、ドキュメンタリーと劇映画の境界がどんどんなくなっているが、これはその典型だろう。最初に「10年前に撮った映像を完成させよう」とスタッフがパソコンを動かし始める場面から、ドキュメンタリーのようだ。
4月25日公開のリウ・ジアイン監督の中国映画『来し方 行く末』を試写で見た。始まった瞬間に「あっ、これは東京国際映画祭で見た」とわかった。後で調べてみたら2023年秋で『耳をかたむけて』という題だった。
4月17日刊で集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出した。前著の『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を同じ集英社新書から出たのが2023年2月だから、2年2ヵ月かかったことになる。
フランスのジャック・オーディアール監督は作品ごとにとんでもないテーマで映画を作る才人だ。共通するのはドラマチックな物語だと思っていたが、前作の『パリ13区』では、無職の30代の男女の交わりを実にクールに描いていて驚いた。
「定点観測」という言葉がある。同じ場所にカメラを据えて、時間をおいて撮り続けたものだ。写真が多いが、動画もある。しかし2時間近い映画のほとんどを定点にカメラを据えたハリウッド映画は、ロバート・ゼメキス監督の『HERE 時を超えて』が初めてかもしれない。
中条省平さんの最終講義に行った時、最初のあたりで中条さんが触れた本がヤニス・バルファキス著『テクノ封建制』。なぜこの本について話したのか思いだせないが、たぶん1960年代後半について話す導入として現代の資本主義がどのように変わったかを言いたかったのかも。
アラン・ギロディ監督は20年ほど前からフランスで注目されて、海外や東京日仏学院で数本を見ていたが、日本では劇場公開されなかった。今回、3本が初めて映画館にかかるというので見に行った。『湖の見知らぬ男』(2013)は一度だけ行ったトロントで見ていたので、最新作の『ミゼリコルディア』(2023)を見た。
昔、吉祥寺に「バウスシアター」という映画館があった。私は大学を出てから上京して最初は練馬区の端にある関町に住んだが、そこからバスで吉祥寺に近かったので、よく行った。映画館と周辺一帯に中央線独特の妙な匂い(?)があって、田舎から出てきた者には微妙な感じだった。
エドワード・ベルガー監督の『教皇選挙』を劇場で見た。アカデミー賞脚色賞だが、今年の受賞作では一番おもしろいのではないか。何よりもたたみかける巧みな脚本のサスペンスとそれを盛り上げる美術、そして抑制の効いた演出が際立っている。
3月末は大学は春休みで桜の花見もあって、自宅の周辺をよく歩いた。住んでいるマンションは現在、改装工事中で、中にいると暗いし物音がするしで不快度が高い。そのうえ、万歩計を始めたこともあった。歩く、歩く。
足立正生監督の『逃走』を劇場で見た。この映画と、7月に公開される高橋伴明監督の『桐島です』が作られているというニュースを知った時、どちらも見たいと思った。それは世代的なものだろうか。私は1974年、中学生の時の三菱重工爆破事件のニュースをよく覚えている。血だらけの会社員たちが大手町のオフィス街を彷徨う光景を。
東京国立近代美術館は、ときどき私が全く知らない美術作家の個展をやる。6月15日まで開催の「ヒルマ・アフ・クリント展」がそうで、この画家は全く名前を聞いたことがなかった。1862年生まれのスウェーデン出身で、カンディンスキーやモンドリアンの同時代人という。つまりは最初の抽象画家世代である。
ジェームズ・マンゴールド監督の『名もなきもの/A COMLETE UNKNOWN』を劇場で見た。中条省平さんの最終講義の冒頭で触れられていたら、おもしろそうに思えた。見ると、「どう見てもティモシー・シャラメなのに、ふとボブ・ディランに見えてしまう」と彼が言った言葉通りだと思った。
「今日はもう1万歩」などと言ってスマホを見せる人の気持ちがわからなかった。万歩計なんて、本当に暇な人のものだと思っていたが、何と私もハマってしまった。職場の毎年の健康診断結果をスマホで遡って見ることができるというので、深く考えずにアプリを入れたのがきっかけだった。
アカデミー賞で作品賞を含む5部門受賞の『ANORA』を劇場で見た。悪趣味でほとんど映画になっていなかった『ブルータリスト』よりはもちろんずっといいが、私にはかなり単調に思えた。最初に高級ストリップクラブでホステスが客をもてなすシーンがえんえんと続き、場面ごとにトーンを決めて同じネタやギャグを繰り返す。
池袋の三省堂書店で『名医が教える飲酒の科学』を手に取ったら買ってしまった。目次を見たら「なぜ酔っぱらっても家に帰れるのか」とか「酒乱かどうかの決め手は「記憶の飛び」」など書かれていたから。
根岸吉太郎監督の『ゆきてかへらぬ』を劇場で見た。昔と違って今は封切り後ひと月たつと上映館や時間が少なくて探すのに苦労したが、小林秀雄と中原中也の話だし、久しぶりの根岸監督なので見たかった。
先月から「ブリティッシュ・ノワール映画祭」をやっている。「ブリティッシュ・ノワール」というのは、1940年代からのアメリカの「フィルム・ノワール」や戦後のベッケルやメルヴィルらのフランスのギャング映画に比べると、知られていない。少なくとも私は全く知らなかった。ためしに代表作という『日曜日はいつも雨』(1947)を見て驚いた。
先日、学習院大学に中条省平さんの最終講義を聴きに行った。いわゆる最終講義にはほとんど行ったことがなく、数年前の早大の武田潔さん以来か。考えてみたら、お二人とも1984年夏から1年間の私のパリ留学中に知り合った。
最近のコメント