リュック・ムレを見る:その(2)
「リュック・ムレ特集」のチラシには、「リュック・ムレは、ブニュエルとタチの両方を継承するおそらく唯一の存在だ」とジャン=マリー・ストローヴの言葉が引用されているが、正直言って『ブリジットとブリジット』と『ビリー・ザ・キッドの冒険』(これは昔見た)を見た限りでは、それは言い過ぎだと思った。
「リュック・ムレ特集」のチラシには、「リュック・ムレは、ブニュエルとタチの両方を継承するおそらく唯一の存在だ」とジャン=マリー・ストローヴの言葉が引用されているが、正直言って『ブリジットとブリジット』と『ビリー・ザ・キッドの冒険』(これは昔見た)を見た限りでは、それは言い過ぎだと思った。
9月19日公開のドキュメンタリー『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』を試写で見た。この4月に出した『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』という本を書いていた時に、ジャック・ドゥミの初期作品にいかにこの音楽家が関わっていたかを知ったからだった。
この5月に岩波新書から出た蓮池薫『日本人拉致』を読んで、大きなショックを受けた。買ったのは「朝日」でこの本をもとにした北野隆一記者によるインタビューが出ていたからだが、確かに今までにどこにも知られていないことだらけだ。
年に何度か日本未公開のフランス映画を見るために、東京日仏学院に行く。私の自宅から歩くと20分ほどで散歩にぴったり。今回行ったのは「リュック・ムレ特集」で、「知られざるヌーヴェル・ヴァーグ」と銘打たれていたのでドキリとした。
8月2日公開の朴壽南(パク・スナム)、朴麻衣(パク・マイ)の共同監督によるドキュメンタリー『よみがえる声』を試写で見た。この二人は母娘だが、それまでは母親名義で4本のドキュメンタリーを残している。私が見たのは韓国の従軍慰安婦たちに密着した『沈黙ー立ち上がる慰安婦』(2017)で、学生企画の映画祭で上映した。
毎朝、NHKの連続テレビ小説『あんぱん』を見ている。最初は見ていなかったが、しばらくしてから見るようになった。たまたま見たら、少年の崇が高知市内に住む再婚した母(松嶋菜々子)に歩いて会いに行って「もう来ては行けない」とお金を渡されるが、それを投げ返して逃げ帰るシーンが妙に印象に残った。
フランシス・フォード・コッポラ監督の『メガロポリス』を劇場で見た。信頼する評論家からの「ひどいよ」という意見も「それでも彼らしい」「若々しい」という肯定的な見方もあったので、見たいと思った。
渋谷の映画館、ユーロスペース代表の堀越謙三さんが80歳で亡くなった。昨日の午後に知り合いから連絡が来たが、今朝になっても何度も彼のことを思いだす。考えてみたら、彼とがっぷり組んで仕事をしたことは1度もないにもかかわらず。
今年の4月に集英社新書から私の『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を含む4冊が出た。このうち、既に3刷となったのが林博史『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったか』。今年は沖縄戦から80年でこの6月23日がその終わりの「慰霊の日」ということもあり、読んでみた。
早川千絵監督の『ルノワール』を劇場で見た。長編一作目の前作『PLAN 75』(1922)は高齢化社会を描く近未来SFでいかにも社会派だと思ったが、今回は一見そんな雰囲気が感じられない地方に住む少女の微視的な物語だ。
矢口史靖監督の『ドールハウス』を劇場で見た。この監督はこれまで『ウォーターボーイズ』(2001)や『スウィング・ガールズ』(2004)、『ハッピー・フライト』(2008)など、とにかくたっぷり楽しませてくれた。
「紙フィルム」という言葉を聞いた時、私はすぐにワシントンの議会図書館が所蔵するペーパー・プリント・コレクション」のことかと思った。これは映画が生まれた頃まだフィルムに著作権がなかった時に、エジソンが映画を紙に転写して収めたものだ。このおかげで映画初期の多くの作品を現在でも見ることができる。
トム・クルーズ主演の『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』を劇場で見た。一番思ったのは、最近大学生がよく口にする「没入感」という言葉だった。これはどうも彼らにとって、映画を見る時の最大のポイントのようだ。
『映画技術入門』で出色なのは、前に書いたように有名な作品の技術的データが書かれていること。例えば「16㎜で撮られた主な作品」のリストがある。カサヴェテスの『アメリカの影』(1959)やヴェンダースの『都会の夏』(1970)、ユスターシュの『ママと娼婦』(1973)、ジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のように初長編が多い。
先日、グレミヨンの『父帰らず』(1930年)を見たのは、シネマヴェーラの「ジャン・グレミヨン&ジャック・ベッケル特集」だったが、またグレミヨンを見にいった。行く前に調べて驚いたのは、この2人の監督の多くがアマゾン・プライムやユーネクストで見られること。
李相日監督の『国宝』を劇場で見た。これは「朝日」に連載していた頃から楽しみに読んでいたので、李監督の手で映画化されると聞いて嬉しかった。結果から言うと抜群におもしろかったが、少し不満も残った。
神戸への学会出張を利用して、鳥取へ出かけた。開館したばかりの鳥取県立美術館に行くためだ。ここの館長・尾崎信一郎さんは私と同じ歳で、20代後半に一度だけ一緒に仕事をしたことがあった。彼が兵庫県立近代美術館に勤めていた頃で、ローマとダームシュタット(フランクフルト郊外)巡回の「具体」の展覧会。
ジャン・グレミヨン監督の『父帰らず』(1930)をシネマヴェーラで見た。たぶん最初に見たのは1985年にパリのシネマテークだったから、実に40年ぶりである。当時、各国のトーキー初期作品に興味があって、これは実におもしろかった。
サントリー美術館で15日まで開催の『酒吞童子 ビギンズ』展を見た。これは同館が所蔵する重要文化財・狩野元信筆《酒吞童子絵巻》(1522)が解体修理を終えて公開されるのを機会に、そのほかの酒吞童子関連の絵巻を見せるというもの。
6月14日公開の台湾のドキュメンタリー『雪どけのあと』をDVDの試写で見た。1996年生まれの女性監督、ルオ・イシャンの第一回長編というが、20代初めのとびきりつらい出来事を映像にすることで克服したような、熱い思いがじかに伝わってきた。
集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出してから、一カ月あまりたった。残念ながら、まだ増刷の話はない。勇気を出して編集者に売れ行きを聞くと、2年前に同じ版元から出した『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』とほぼ同じらしい。
カナダのグラハム・フォイ監督の第一回長編『メイデン』を劇場で見て驚いた。1987年生まれで初長編というが、相当の才能の持ち主だ。明らかに16㎜で捉えられた荒い映像とざわめきの音が、10代の少年少女が全身で感じる世界を表現する。
フランスのコラリー・ファルジャ監督がデミ・ムーアを主演に撮った映画『サブスタンス』を劇場で見た。予告編でかなりグロテスクな感じがあったので、半分は怖いもの見たさ。去年のカンヌの脚本賞というのも興味があった。
「映画」と「入門」という2つの言葉が入った分厚い本を2冊読んだ。昨年出た高良和秀編著『映画技術入門』と一昨年出たパオロ・ケルキ・ウザイ著、石原香絵訳『無声映画入門 調査・研究、キュレーターシップ』。大学で16年も教えてきたのに今さら映画の入門書とはと思われるかもしれないが、私にはどちらもおもしろかった。
だいぶ前に国立映画アーカイブで見た島津保次郎監督の『愛よ人類と共にあれ』(1931年)について書いておきたい。サイレント作品で上映時間は241分=4時間強。同じ1931年から翌年にかけて公開された清水宏の『七つの海』も同じくらいの長さだから、サイレント末期の蒲田撮影所では大河ドラマの長尺ものが流行っていたのか。
いつの間にかこの5年のうちに新書を3冊書いた。10万字、13万字、15万字と少しづつ厚くなったが、どれも書くのに半年強であまり時間がかからなかった。長年新聞社に勤めて、大学に移ってからも短い文章を新聞や雑誌や映画パンフに書いていたから、いわゆる研究書や論文を書くよりも新書は私には向いているかも。
佐古忠彦監督のドキュメンタリー『太陽(ティダ)の運命』を劇場で見た。この監督は『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(2017)を見て強く心を動かされた。TBSの監督だから今回も映画のトーンはテレビ調なのだが、それでもTBSと系列の琉球放送(RBC)が持つ映像を駆使して語られる沖縄の現代史に文字通り圧倒された。
アルゼンチンのラウラ・シタレラ監督『トレンケ・ラウケン』を劇場で見た。題名からして訳がわからないし(実は映画に出てくる地名)、二部に分かれて計4時間20分。冒頭に2人の中年男が出てくる。面識がないようだが「ラウラを一緒に探そう」。2人の間には妙な雰囲気が漂う。
東京都現代美術館で「岡崎乾二郎 而今而後 ジコンジゴ」展を見た。岡崎乾二郎氏は、私が現代美術を見始めた1980年代後半には既に有名だった。当時ベネチア・ビエンナーレなど海外に出始めた若手の作家たちより少し年上で、何より弁の立つ理論家という印象があった。
レオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』を劇場で見た。42分しかなく、これでシニア料金1200円は高いと思ったが、カラックスがゴダール風の作品を作ったというので見たくなった。
最近のコメント