『ヌーヴェル・ヴァーグ』という本を出す:その(1)
4月17日刊で集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出した。前著の『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を同じ集英社新書から出たのが2023年2月だから、2年2ヵ月かかったことになる。
4月17日刊で集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出した。前著の『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を同じ集英社新書から出たのが2023年2月だから、2年2ヵ月かかったことになる。
フランスのジャック・オーディアール監督は作品ごとにとんでもないテーマで映画を作る才人だ。共通するのはドラマチックな物語だと思っていたが、前作の『パリ13区』では、無職の30代の男女の交わりを実にクールに描いていて驚いた。
「定点観測」という言葉がある。同じ場所にカメラを据えて、時間をおいて撮り続けたものだ。写真が多いが、動画もある。しかし2時間近い映画のほとんどを定点にカメラを据えたハリウッド映画は、ロバート・ゼメキス監督の『HERE 時を超えて』が初めてかもしれない。
中条省平さんの最終講義に行った時、最初のあたりで中条さんが触れた本がヤニス・バルファキス著『テクノ封建制』。なぜこの本について話したのか思いだせないが、たぶん1960年代後半について話す導入として現代の資本主義がどのように変わったかを言いたかったのかも。
アラン・ギロディ監督は20年ほど前からフランスで注目されて、海外や東京日仏学院で数本を見ていたが、日本では劇場公開されなかった。今回、3本が初めて映画館にかかるというので見に行った。『湖の見知らぬ男』(2013)は一度だけ行ったトロントで見ていたので、最新作の『ミゼリコルディア』(2023)を見た。
昔、吉祥寺に「バウスシアター」という映画館があった。私は大学を出てから上京して最初は練馬区の端にある関町に住んだが、そこからバスで吉祥寺に近かったので、よく行った。映画館と周辺一帯に中央線独特の妙な匂い(?)があって、田舎から出てきた者には微妙な感じだった。
エドワード・ベルガー監督の『教皇選挙』を劇場で見た。アカデミー賞脚色賞だが、今年の受賞作では一番おもしろいのではないか。何よりもたたみかける巧みな脚本のサスペンスとそれを盛り上げる美術、そして抑制の効いた演出が際立っている。
3月末は大学は春休みで桜の花見もあって、自宅の周辺をよく歩いた。住んでいるマンションは現在、改装工事中で、中にいると暗いし物音がするしで不快度が高い。そのうえ、万歩計を始めたこともあった。歩く、歩く。
足立正生監督の『逃走』を劇場で見た。この映画と、7月に公開される高橋伴明監督の『桐島です』が作られているというニュースを知った時、どちらも見たいと思った。それは世代的なものだろうか。私は1974年、中学生の時の三菱重工爆破事件のニュースをよく覚えている。血だらけの会社員たちが大手町のオフィス街を彷徨う光景を。
東京国立近代美術館は、ときどき私が全く知らない美術作家の個展をやる。6月15日まで開催の「ヒルマ・アフ・クリント展」がそうで、この画家は全く名前を聞いたことがなかった。1862年生まれのスウェーデン出身で、カンディンスキーやモンドリアンの同時代人という。つまりは最初の抽象画家世代である。
ジェームズ・マンゴールド監督の『名もなきもの/A COMLETE UNKNOWN』を劇場で見た。中条省平さんの最終講義の冒頭で触れられていたら、おもしろそうに思えた。見ると、「どう見てもティモシー・シャラメなのに、ふとボブ・ディランに見えてしまう」と彼が言った言葉通りだと思った。
「今日はもう1万歩」などと言ってスマホを見せる人の気持ちがわからなかった。万歩計なんて、本当に暇な人のものだと思っていたが、何と私もハマってしまった。職場の毎年の健康診断結果をスマホで遡って見ることができるというので、深く考えずにアプリを入れたのがきっかけだった。
アカデミー賞で作品賞を含む5部門受賞の『ANORA』を劇場で見た。悪趣味でほとんど映画になっていなかった『ブルータリスト』よりはもちろんずっといいが、私にはかなり単調に思えた。最初に高級ストリップクラブでホステスが客をもてなすシーンがえんえんと続き、場面ごとにトーンを決めて同じネタやギャグを繰り返す。
池袋の三省堂書店で『名医が教える飲酒の科学』を手に取ったら買ってしまった。目次を見たら「なぜ酔っぱらっても家に帰れるのか」とか「酒乱かどうかの決め手は「記憶の飛び」」など書かれていたから。
根岸吉太郎監督の『ゆきてかへらぬ』を劇場で見た。昔と違って今は封切り後ひと月たつと上映館や時間が少なくて探すのに苦労したが、小林秀雄と中原中也の話だし、久しぶりの根岸監督なので見たかった。
先月から「ブリティッシュ・ノワール映画祭」をやっている。「ブリティッシュ・ノワール」というのは、1940年代からのアメリカの「フィルム・ノワール」や戦後のベッケルやメルヴィルらのフランスのギャング映画に比べると、知られていない。少なくとも私は全く知らなかった。ためしに代表作という『日曜日はいつも雨』(1947)を見て驚いた。
先日、学習院大学に中条省平さんの最終講義を聴きに行った。いわゆる最終講義にはほとんど行ったことがなく、数年前の早大の武田潔さん以来か。考えてみたら、お二人とも1984年夏から1年間の私のパリ留学中に知り合った。
アラン・レネの『ジュテーム、ジュテーム』(1968)を劇場で見た。これは昔、フランス留学中に見たはずだが、寝てしまった記憶しかない。日本の映画館で上映するのはたぶん初めてなので、見に行ってみた。
4月13日までサントリー美術館で開催の「没後120年 エミール・ガレ 憧憬のパリ」展を見た。北フランスのナンシーに住み、何度かのパリ万博を始めとしてたえずパリで作品を見せて売ってきたという観点からガレの全体像を見せるものだ。
「フレデリック・ワイズマンのすべて」と題して、彼のドキュメンタリーで現在上映可能な44本すべてが昨年12月からこの3月末まで上映中だ。私は特に初期はあまり見ていなかったので、空いた時間を見つけてときどき出かける。
東京都現代美術館の「音を視る 時を聴く 坂本龍一」展が異様なほど賑わっている。あの館のこれまでの最高入場者は1996年に私が担当した「ポンピドー・コレクション展」で確か30万人を超したが、今回はそれを越す勢いという。これがわからない。
私が中学生の頃、「ギャラーン、シグマー!」と最後に高らかに叫ぶ車のCMがあった。シグマはΣという中学生にとって謎の文字で、この車に乗ると夢の世界へ行けるような気がした。今考えると、1970年代後半で日本の高度成長期の最後のあたりの輝きだったようにも思える。
「『ブルータリスト』がわからない」と書いた後に思いだしたのは、昔、「朝日」の同僚だった記者のこと。彼は少しでも難しい映画は嫌いで「わからない」と正直に言っていた。今、世界に必要なのは「わからない」と言う勇気なのかもしれない。
ブラディ・コルベット監督の『ブルータリスト』を劇場で見た。ベネチア国際映画祭で監督賞だし、アカデミー賞10部門ノミネートだし(3部門受賞)、3時間35分の長尺というのも気になった。結果は私にはかなり退屈で悪趣味な映画に思えた。
昔、「ミロを見ろ」というオヤジギャグがあった。東京都美術館で始まったばかりの「ミロ展」は、久しぶりにその言葉を思い出させたくらい「見るべき」展覧会だ。100点ほどだが、20代半ばの初期作品から晩年の大作までまんべんなく並んでいる。
前にここで書いたように、一昨年から昨年にかけてフランスの映画界ではフィリップ・ガレルやジャック・ドワイヨンなどのポスト・ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちが、次々と過去のセクハラで告発されている。その中心となった女優のジュディット・ゴドレーシュは去年のカンヌでそれを取り上げた映画を発表して話題になった。
今朝ここにアップしたものがこのブログを運営する「ココログ」の不手際で消えてしまったので、別の文章を書く。もしそれが出てきたら、その時点でアップしたい。さて小田香特集である。恵比寿映像祭で『母との記録「働く手」』を見て衝撃を受けたので、特集にも出かけた。
カンヌで審査員特別賞を受けたイランのモハマド・ラスロフ監督『聖なるイチジクの種』を劇場で見た。イランで有罪判決を受けて国外に逃亡し、28日かけてたどりついたカンヌで受賞したという話を聞いて、とにかく見たいと思った。この20年ほどのイラン映画は秀作が多いし。
すべてを忘れて映画に集中する体験をしたければ、『セプテンバー5』を見たらいい。ティム・フェールバウム監督の映画は初めて見るが、とにかく95分間、最初から最後まで画面から目が離せない。
恵比寿映像祭は終わったが、小田香や小森はるかの映像を展示した「コミッション・プロジェクト」は3月25日まで開催中だ。これは5人の専門家(?)が選んだ日本在住の作家に新作を委嘱するして展示するシステムのようだ。今回は4人が選ばれており、ほかには永田康祐と牧原依里。
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