イスタンブール残像:その(1)
もう帰国して1週間が過ぎたのに、どうも頭の中でイスタンブールが巡っている。一番印象に残っているイメージは、ボスポラス海峡巡りの観光船から何本か見えた相当に大きな赤いトルコの国旗だった。
もう帰国して1週間が過ぎたのに、どうも頭の中でイスタンブールが巡っている。一番印象に残っているイメージは、ボスポラス海峡巡りの観光船から何本か見えた相当に大きな赤いトルコの国旗だった。
今回の旅行で気づいたことをいくつか書き留めておきたい。考えてみたら、これまでパリに行くと必ず会うのは評論家のジャン・ドゥーシェさんと女優のフランソワーズ・アルヌールさんだったが、もうこの世にいない。お二人とも2019年9月には会ったのに、ドゥーシェさんはその11月に、アルヌールさんは2021年7月に亡くなった。
昔は海外に旅行すると、必ず映画を見た。「日本では見られない」映画を見なくてはと思っていたが、最近は簡単にDVDを買うことができる。そんなこともあって今回の旅行では映画館に行かなかった。旅行前はジョージア映画を数本見たこともあり、久しぶりにアメリカ映画を見たくなった。
既に帰国したけれど、イスタンブールについてはもっと書いておきたい。トルコという国自体、日本では一般にはあまり知られていない。私もたまにトルコ映画の新作を見るくらいで、あまり考えたことがなかった。
さて、パリではほかにポンピドゥー・センターやルーヴル美術館、証券取引所跡の美術館、シネマテーク・フランセーズの常設展などを見たが、それは後日書く。さて忘れないうちに書いておきたいのは、その後に行ったイスタンブールの話である。
5年前に海外に行った時は、パリの空港に着くとすぐにSIMカードを買った。そしてSIMカードを入れ替える。これが細いピンを使ってなかなか緊張する作業だった。それが今回はeSIMというものがあることを知った。
今回パリに着いて、最初に行ったのはなぜかパリのはずれにある「国際大学都市」のアメリカ館。1984年9月から翌年7月まで住んだ学生寮だが、なぜかその後一度も行っていない。最近DVDで見たエリック・ロメールの短編『パリのナジャ』で国際大学都市が出てきて、急に行きたいと思った。
久しぶりに海外にいる。最後が2019年9月のベネチアとパリだから、ちょうど5年になる。2020年春に始まったコロナ禍も2022年あたりからは海外に行く人も出てきたが、行く気が起こらなかった。考えてみたら2019年までは毎年ベネチア国際映画祭に全日程参加して、主に「日経」をレポートを書いていた。
今回の特集の一人、ラナ・ゴゴベリゼ監督も古い順に2本見た。この監督は40年ほど前に『インタビュアー』(1978)を見て、あまりおもしろくなかった記憶がある。まず長編第一作『ひとつ空の下ー3つのエピソード』(1961)は3つの時代の女性を3部構成で描く。
現在、世界各地で1960年前後から70年代にかけて出てきた「新しい映画」を調べている。もちろん代表格はフランスのヌーヴェル・ヴァーグだが、日本を含めて各地で同時多発的に起きている。今度「ジョージア映画祭2024」が始まったので数本見た。
数日前から、咳が止まらない。3時間に1度くらい、せき込むと5分くらい続く。ところが熱はない。昔ならそのまま放っておくが、還暦を過ぎると何でも気になる。特にコロナ以降は、妙に感染症が怖くなった。今でも同世代でコロナにかかって10日間ダウンしたという話を聞く。
9月27日公開で、始まったばかりのベネチア国際映画祭に出品されている黒沢清監督『Cloudクラウド』を見た。これが肩の力の抜けた娯楽作で、そのサスペンスやアクションを十分に楽しんだ。
先日、10年ぶりくらいに腕時計を買った。といってもスウォッチの安いものだが、デザインは気に入っている。今では誰でもスマホを持っているので腕時計を使わない人が増えたが、私はなぜか腕に時計がないと落ち着かない。
映画業界の友人に勧められて見に行ったのが、デヴィッド・リーチ監督の『フォールガイ』。この監督は『ブレット・トレイン』が何を考えているかさっぱりわからずおもしろかったので気になってもいた。これが大当たりで『ツイスターズ』と共にこの夏最高の娯楽映画だった。
アラン・ドロンが亡くなったが、「朝日」で石飛徳樹記者が「子どもでも知っているくらい有名な存在だった」と書いているのが、おかしかった。本当に70年代初頭、小学生の私は「ダーバン、ムニャムニャ」というTVコマーシャルが大好きだった。
あまりハリウッド映画は見ないけれど、リー・アイザック・チョン監督の『ツイスターズ』を劇場で見て抜群におもしろかった。この監督は『ミナリ』(2020)がいま一つだったが、こちらはお見事なアクション娯楽大作であまり話題になっていないのが不思議なくらい。
『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』を劇場で見た。「TBSDocs」と最初に出てくる通り、TBSの製作で監督は社員の佐井大紀。この人は『日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜』を見たが、あまりおもしろくなかった。
矢野和之さんが11日に亡くなられたという連絡を受けた。知る人ぞ知るというか、ある時代の映画好きにとっては忘れがたい人だった。私は個人的にもずいぶんお世話になった。私が国際交流基金に勤め始めたのは1987年だが、矢野さんはその2年前にそこを辞めていた。10年ちょっと勤めたと言っていた。
いつものごとく、オリンピックの競技は一度も見なかった。たまにニュースでハイライトをいくつか見た程度。それでも日本の金メダルが20個で、それは世界ランキング3位というニュースは気になった。
とにかく暑すぎる。こういう時に一番いいのは、とびきり長い映画を観ることだ。まず半日はつぶれるし、この夏にやる巨匠の2本は満足度が高い。既に上映中なのが、マルコ・ベロッキオ監督『夜の外側 イタリアを震撼させた55日』で5時間40分。
昔、『愛する者よ、列車に乗れ』というフランス映画があった。1998年の作品でカンヌのコンペに出て日本でも翌年公開された。監督はむしろ舞台演出家や俳優として有名なパトリス・シェローだった。
9月6日公開の山中瑤子監督『ナミビアの娘』をオンライン試写で見た。どうしてもスクリーン試写の時間が合わなかったから。明らかにスクリーンで見た方がその強度はより伝わったと思うが、パソコン画面でも並々ならぬ迫力が満ちていた。
ギョーム・ブラック監督の『宝島』(2018)を見た。パリ郊外のセルジー=ポントワーズにある遊園地を撮ったドキュメンタリーなのだが、ふとエリック・ロメールやジャック・ロジエの映画を見ているような気分にもなる。
辻田希世子さんの『ヴェネツィアの家族』がどうも頭に残っているので、もう一度書く。辻田さんは子連れで日本に帰国したが、義父母は毎夏会いに来てくれたという。「それは子どもが小学校高学年になるまで続いた」
アーティゾン美術館は、かつてのブリヂストン美術館に比べてずいぶん快適になった。昔は1000平米ほどの会場に小さめの企画展が半分、常設展示が半分だったが、今ではたぶん3倍の広さで6階で企画展、4階は常設展、5階は企画展のことも常設展のこともある。
既に何度も書いたように、オリンピックは嫌いだ。ワールドカップも高校野球も同じように苦手だが、特にオリンピックは国別のメダル競争があって、馬鹿らしいと思う。この移民の時代には、どの国籍で出場するかはかなり恣意的になる。そもそもスポーツに国別はどれほど意味があるのか。
「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔は前から気になっていた。テレビは見ないから、彼がお笑い番組に出ていたのは知らない。たぶん4、5年前にたまたまフェイスブックで触れられていて、AbemaTVの映像をユーチューブで見たのが最初かもしれない。
9月6日公開の奥山大志監督『ぼくのお日さま』を試写で見た。といっても勤務先の大学で学生向けの上映だった。映画宣伝を担当している会社に1年半前から務める教え子から提案があり、受け入れることにした。
昔も今も、小中学校の夏休みは7月20日前後から8月末までと決まっている。北海道など地域によっては数日ずらすようだが、これが基本で変わっていない。かつて、私が大学生だった頃の大学の休みは7月初旬からだった。
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