『ゴダール/オフュルス全対話』のゴダール:続き
『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』についてもう少し述べておきたい。この本はジャン=リュック・ゴダールとマルセル・オフュルスの対話だが、オフュルスはゴダールに「ジャン=リュック、わざと周縁的(マージナル)な存在になろうとするのはよくないよ」とポロリと言う。
『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』についてもう少し述べておきたい。この本はジャン=リュック・ゴダールとマルセル・オフュルスの対話だが、オフュルスはゴダールに「ジャン=リュック、わざと周縁的(マージナル)な存在になろうとするのはよくないよ」とポロリと言う。
私が働き始めた80年代後半のバブル期に贅沢三昧をした根拠が村上龍の言葉だったとすると、それ以前の学生の頃に生活の方針としていたのは加藤周一の言葉だった。それは「知識人は衣食住に金をかけ過ぎてはいけない」という内容だったと思う。学生の頃、私は大学のフランス語の先生になりたいと思っていた。
ふと思い立って、セルゲイ・ロズニツァ監督の『新生ロシア1991』を劇場に見に行った。1991年夏のレニングラードを撮ったドキュメンタリーと聞いて、気になったからだ。まえにここに書いたように、私が最初に企画した映画祭は1992年の「レンフィルム祭」だった。
毎年、1月末には日本映画製作者連盟が前年の1年間の興行収入(=興収)を発表する。今年は昨日発表されたが、全体の興収は2131億円で前年から3割増しという。これはこの20年間の平均より上なので、映画界はほぼ復調したと言ってよい。
先日、ホテルの夢の話でかつて高級ホテルに泊まったことを書いたら、いろいろ思い出した。80年代後半のちょうどバブル期の頃に就職した私は、数年経つと「贅沢」を美徳とするようになった。それは実は、ある時作家の村上龍が語っていた言葉がきっかけだった。
マーティン・マクドナー監督は『スリー・ビルボード』(2016)が大好きだった。娘をレイプされて復讐に燃える中年女性をフランシス・マクドーマンドが痛快に演じていた。その先を読めない展開に胸が躍った。そこで彼の最新作『イニシェリン島の精霊』を劇場に見に行った。
寒い。10年に1度の寒波というが、私の記憶ではこれほど寒かったことはない。東京で最低気温マイナス3度とか4度とかが3日も続いたのは初めてではないか。1番ぶ厚いコートを着ても、外を歩くとブルブル震えてしまう。
ロウ・イエ監督の『シャドウプレイ』を劇場に見に行った時、エレベーターで中国語が聞こえた。ホールで耳を澄ますと中国の若者が何人もいた。今回の5分長いバージョンを見に来た熱心な映画ファンだと思った。
夢では外国のホテルがよく出てくる。最近は小さめで少し高級ないわゆるプチ・ホテルが好みだが、夢ではゴージャスな大ホテルが出てくることが多い。ベネチアのリド島のオテル・デ・バンとかロカルノのグランド・ホテルとか。どちらも1度だけ泊まったが、今や閉鎖されている。
2月23日公開のリューベン・オストルンド監督『逆転のトライアングル』を試写で見た。去年のカンヌでパルムドール受賞作でもあり混むかと思ったが、3回しかない試写なのに半分くらいか。みんな、もうオンライン試写がいいのだろうか。
1年ほど前に自分のマンションの部屋を間違えて1階下の玄関を開けたことを書いた。たぶん2、3度やったと思う。「だれー?」などという声が聞こえて来たこともあったが、幸いにして相手が出てくる前に逃げた。
昨年9月30日に出た『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』を読んだ。ゴダールが91歳で亡くなったのは9月13日だから直後の出版だが、翻訳なのでたまたま重なったのだろう。これが、ゴダールの晩年の心情がわかっておもしろい。
ロウ・イエ監督の『シャドウプレイ [完全版]』は試写で見ていたが、また劇場に見に行った。実はこの映画に私はコメントを出してHPに載っているほか、一部が新聞の夕刊でも使われた。試写会場で配給のアップリンクのAさんに「傑作です」と言い放ったからかもしれない。
ここに書いた通り、昨年2月に生まれて初めてギックリ腰になった。泣きそうになりながら病院に行って、3日ほどじっとしていた。9月に再発したが、一晩寝ると元に戻った。それでも時々腰のあたりが疼くと、「ひやり」とする。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を劇場で見てずいぶん興奮したが、忘れないうちに書き足して置く。これはパンフに前島秀国氏も書いているが、彼には2人の「父」がいた。1人は本当の父親でトランペット奏者だったが、息子にもトランペットが弾けたら食っていけると教えた。
200冊強の本と美術展カタログを売ったことで、日常の何かが変わった気がする。まず、売る前に持っている本やカタログの多くを手に取って確認した。大半は買ったりもらったりした後に一度も手に触れていなかったから、こんな内容なんだと改めて驚いた本も多かった。
#MeToo運動の発端を作ったアメリカのプロデューサー、ハーヴェイ・ワインシュタインの連続セクハラ事件の告発を追った『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』を劇場で見た。監督のマリア・シュラダーは無名だが、今、映画館で見ておくべき映画だと思った。
『芥川竜之介紀行文集』について2度も書いたのに、この本の大半を占める中国での旅行記に触れていないので書いておきたい。芥川龍之介のように明治中頃に生まれたインテリは、中国の漢籍についての知識がすさまじい。だからどこに行っても中国の詩や歴史書が思い出される。
ドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を劇場で見た。イタリアの映画音楽の巨匠をめぐるものだが、さすがにジュゼッペ・トルナトーレ監督で見応えたっぷり。映画好き、特にイタリア映画好きにはこたえられない場面がいくつもあって心が躍った。
200冊を超す本、その大半は大判の美術カタログを古本屋に売って、さぞ自宅にスペースができたと思われるかもしれない。私もそう思っていたが、そんなに簡単ではなかった。私の自宅には作り付けた本棚がすべての部屋にある。
2月10日公開の中国映画『小さき麦の花』を試写で見た。監督のリー・ルイジュンは『僕たちの家に帰ろう』が公開されているが、見ていない。それでも早く見たいと思ったのは、昨年のベルリン国際映画祭での「星取表」で最高の4.7点を得たが無冠だったと書いてあったから。
前に吉祥寺の古本屋Yから「本を売りませんか」という手紙を受け取ったことはここに書いた。一度電話してその後連絡がなかったが、正月明けにふと時間ができた。そこで売る予定の本が並ぶ本棚の写真を3カット撮って、「こんな本を売りたい」とその古本屋にメールで送った。
最近、一番驚いたのは「ジュリエッタ・マシーナ」という読み方は誤りで「マジーナ」と聞いたこと。彼女はフェデリコ・フェリーニ監督の妻で彼の多くの映画に出ていたが、絶対に「マシーナ」だと信じて疑わなかった。
1月20日公開のロウ・イエ監督『シャドウ・プレイ』(完全版)を試写で見て、その異様な熱気に圧倒された。彼の作品は『ふたりの人魚』(2000)以降はたぶん全部見ているが、これは『天安門、恋人たち』(2006)と並ぶ傑作かもしれない。
正月休みで思ったのだが、最近の日々は「繰り返し」だということ。朝はおおむね5時から6時までの間に起きて、うがいをして水を一杯飲む。それから体温計で温度を測って手帳にメモ。そして今日何を着るか考えてから、シャワーを浴びる。
昨年末に東京国立博物館で「国宝展」を見てどこか物足りなかったせいか、正月にはドンと国宝を見たいと思った。見つけたのがサントリー美術館でこの22日(日)まで開催の「京都・智積院の名宝」。長谷川等伯による国宝の金碧障壁画群があるという。
封切り後1週間がたつのに、コアな映画ファンも普通の映画好きも気がついていない映画が、ガブリエレ・ムッチーノ監督の『離ればなれになっても』ではないか。12月30日という年末に公開されて1週間たつが、週末の午後でもあまり客はいなかった。しかしこれが誰が見てもよかったと思えるタイプの佳作だった。
3年近く前から、毎朝6時25分から15分間、NHKのテレビ体操を見ている(というか、見ながら体を動かしている)。これは昨年気づいたが、元旦の体操はすごい。普段は指導の3人のうち1人、ピアノの3人のうち1人、アシスタント(実際に体操をする)の女性5人と男性3人のうち5人が交代で出るが、この日は全員で特別なショーを見せてくれる。
急に時間ができたので、国立映画アーカイブで開催中の「アカデミー・フィルム・アーカイブ 映画コレクション」に行くことにして、2時間前に予約したのが『アンニー可愛や』。33歳のメアリー・ピックフォードがたぶん10代半ばの娘を演じている。
東京駅に行く用事があったついでに、東京ステーションギャラリーでこの9日(月)までの「鉄道と美術の150年」展を見た。今年は新橋―横浜間に1872年に鉄道が開通してちょうど150年という。東京駅の建築を復元した一角にあるこの美術館ならではの企画だろう。
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