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2009年5月19日 (火)

キャリーバッグ反対

道を歩いていて、キャリーバッグほど迷惑なものはない。満員の駅で2人分、場合によっては3人分のスペースを取り、他人に当たろうが、靴を傷つけようがおかまいなしだ。それも手に持てないようなスーツケースくらいの大きさなら転がさないと運べないのはわかる。ほとんど50センチ四方でどう見ても手に持てそうな大きさのバッグに棒をつけて転がし、自分の背後でバッグがどこに当たろうが見もしない。どうもああして転がすのがカッコいいとでも思っているふしもある。自分の荷物は自分の身体で運ぶというのが人間の基本のはずだ。自分の義務を放棄し、他人に迷惑をかけているのに気がつかないというパターンの典型だ。
これまでこのことを文章で指摘していたのは、あまり見たことがない。数年前に「週刊文春」で林真理子さんが書いていた記憶がある。それだけで彼女は常識があると思う。もっと新聞などで問題化したらどうだろうか。こんなことを書くと「今の若者は…」と嘆く老人みたいだが。

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