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2009年6月21日 (日)

「映画監督にドラマの職人続々」という記事

昨日の朝日新聞に、映画監督がテレビから出る時代になった由のことが書かれていた。それ自体は本当だと思う。しかし結論がちょっと短絡過ぎるように思えた。長い文章だが、アサヒコムから結論部分を貼り付ける。
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テレビでは毎週20本以上の連続ドラマが放送される。ディレクターは演出経験が映画畑の監督に比べて圧倒的に豊富だ。撮影のスピードが速く俳優の扱いも慣れている。評論家の樋口尚文さんは「視聴率が常に念頭に置かれ、視聴者の見たいものをかぎ取る点で鍛えられている」と話す。
 もちろん短所もある。「今のテレビは性と暴力に踏み込むことがタブー。だからディレクターも人間の大きなテーマであるこの領域に不慣れ。従って、彼らの映画は概してテーマがほどよいものに限られ、エキサイティングに広がっていかない」(樋口さん)
 映画が得意とする性や暴力表現をダイナミックに見せる人材が出て来た時、テレビディレクターの映画進出は不可逆の流れになる。(石飛徳樹、大室一也)
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性や暴力を表現できたらテレビディレクターはまともな映画を作れるのか。今上映中の映画で言えば、「ガマの油」も「ウルトラミラクルラブストーリー」も性も暴力もないが、明らかに映画的としかいいようのない表現であふれている。それは「ハゲタカ」や「MW-ムウ-」(7月公開)などのテレビ的映画とは明らかに演出の質が違う。それは何か。人のアップを中心に言葉でわかりやすく物語を進めるのがテレビだとすると、映画は闇の中の小さな光や遠くの小さな物音まで取り込んで綿密な画面作りをする。違うのは映像の質の繊細さであって、テーマではない。
是枝裕和監督は言うまでもなくテレビ制作会社であるテレビマンユニオンの社員だが、彼の作る映画はテレビとは遠いところにある。「空気人形」で描かれる月島近辺は、これまで誰も見たことがないような不思議な空気に溢れている。この際、テレビ出身かどうかはあまり大きな問題ではないのではないか。
この記者たちには、映画がテレビ的表現に覆われつつあることへの危機感が欠けているように思える。現状を肯定的に考えることから始めようという姿勢はわからないではないが、私にはいささか無邪気な楽観主義に思えてならない。映画館の闇はもっともっと深い。
www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200906200091.html

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