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2009年7月21日 (火)

『ロマンポルノと実録ヤクザ映画』

「禁じられた70年代日本映画」という副題を持つ樋口尚文氏の平凡社新書の新刊を近所の本屋で目にして思わず買ってしまった。70年代の日本映画というとポルノや実録ものを中心に、ヤケクソな映画ばかりという印象があったが、この本を読んで「だからこそおもしろいものも多い」ことを痛感した。
驚いたのは取り上げてある大半のDVDが出ていないことや、62年生まれの樋口氏が同時代的にかなりを見ていたことだ。同じ世代の自分が、80年代になってから神代辰巳や藤田敏八、曽根中生といった監督の作品を「作家主義」的に後から追いかけたのとは大違いだ。樋口氏は中学や高校でこんな変な映画を見たのだろう。たまたま松本清張が好きだった私は『球形の荒野』と「昭和枯れすすき」の2本立てを当時見たが、後者の方がずっといいできだったのはよく覚えていて、樋口氏の記述に大きくうなずいた。
実に多くの新書が出る時代だからこそこういうマニアックな本も出版可能なのだろう。

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コメント

「ロマンポルノと実録やくざ映画」の著者です。たまさかこちらのブログを通りかかって、出来立ての愚著をお買い求めくださったうえ、愚生の最も汲んでいただきたかった「ヤケクソだから面白いものも多かった」という点にブログで言及してくださり、思わず御礼を申し上げたくなりました。ご指摘の通り、愚著におさめられた作品の大部分はソフト可されておらず、マセガキだった自分が年齢を偽って当時の映画館という「闇の学校」で吸収したものを、必死で回想しながらの執筆作業となりました。あのヤバくて何が出てくるか判らない文化的なスリリングさというのは、今を象徴するシネコンとテレビ局製作映画のテーマパーク的あり方からは到底生まれえないものだと感じます。「闇の学校」で育った愚生は、その後テレビCM業界でも何十年と仕事をしてまいりましたが、ひしひしと体感するのはテレビの放送倫理の縛りがきつく、かつてより格段に性と暴力という人間の本質にかかわる領域を主題とすることが禁忌化してしまったことです。むろん性と暴力を扱えばただちに優れた作品になるというわけではありませんが、70年代の映画のアナーキーな文化的肺活量を保証した大きな要因が、あの性と暴力への「ヤケクソ」な踏み込みであったことは確かであるような気が致します。ご高評ありがとうございました。もし宜しければ本書と併せて前著「『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画」(筑摩書房)もご笑覧いただくと、また興が増されるかと思います。とりいそぎ御礼まで。

投稿: 樋口 | 2009年7月22日 (水) 05時09分

匿名の思いつきの感想文に著者の方からていねいコメントをいただき、恐縮です。是非前著も読みます。

投稿: paysagiste | 2009年7月22日 (水) 09時11分

こんにちは!
私は『ロマンポルノと実録ヤクザ映画』を、昨日、読み終わりました。

こちらに作者本人からのコメントがかかれておりビックリしました。

私は、水原ゆう紀の「赤い教室」の文章の所が大変懐かしく特に良かったです。

ところで、読んでいて気になったんですが、この人、"たまさか"って言葉を
再々にわたって使われていますが、これ何だかおかしいですよねー!
・・・っと思っていたら、こちらのコメントでも使われている!!!
偶然にも・・・とか、思いがけず・・・、とか、
もう少し分かりやすい言葉に置き換えた方が良いと思いませんか??

通りがかりで失礼いたしました。

追伸:この本は「スペースサーカス」っていうレアなFUSIONバンドの事も
ちゃんとフォローされていてそういう点では、とても楽しめました。

投稿: Kenny U | 2010年8月16日 (月) 08時55分

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