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2009年8月22日 (土)

『モード家の一夜』

エリック・ロメールのなかで最も好きだった映画を、およそ20年ぶりにDVDで見た。かつて最低でも3回は映画館で見たはずだ。
その感想は、同じように好きだった『突然炎のごとく』をDVDで見直した時と同じく、色あせて見えた。

とにかく台詞が多い。大半は4人のインテリ男女の会話のみだ。カメラはほとんど動かず、巧みに構成された台詞の中から4人の微妙な恋愛の駆け引きや感情の高まりが見えてくる。隠された感情は大きなものだが、表面に現れるのはほんの一言だ。
主人公のジャン=ルイ・トランティニャンも、友人のアントワーヌ・ヴィテーズも、モードを演じるフランソワーズ・ファビアンも、主人公と結婚するマリ=クリスチーヌ・バローも登場人物そのもののような存在感を持つし、ネストール・アルメンドロスの硬質で無駄のない白黒の画面も美しい。
若い頃、その台詞のひとつひとつに酔った。フランスの60年代という自分からは遥かに遠い設定であったにもかかわらず、自分の人生と重ね合わそうとした。あるいは遠かったからこそ、憧れを抱き文学的な理解をしたのだろうか。
そしてこの映画の主人公たちよりはるかに年を取り、この映画を撮った頃のロメールとほぼ同じ年になってしまった今の僕には、この映画の台詞はもはやリアリティを失っている。
繊細な台詞とミニマルな手法で作られた恋愛映画として魅力は失ってはいないが、少なくとも男女で長々とパスカルについてやキリスト教について語るシーンには今の僕は退屈してしまう。

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