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2009年9月14日 (月)

ベネチア・ビエンナーレの日本館

以前、このブログで日本館がまた受賞できなかったことを書いた。今回ようやく実際のやなぎみわの展示を見て、「これじゃだめだ」と納得した。

日本館の展示は、バイクに乗る裸の老婆を撮った合成写真を大きなパネルで数枚並べたものだ。床に置かれた黒いテントの中にビデオ作品もある。館の外側は黒い布で覆ってある。いかにも日本風のポップな作品だが、それ以上の「見応え」がない。
例えば金獅子賞を取ったアメリカ館のブルース・ナウマンは明らかに彼の強い世界が感じられるし、無冠だがフランス館のクロード・レヴェックも檻や黒い旗が強烈なメッセージを放つ。いわゆる「見応え」があるのだ。
この四半世紀、ベネチア・ビエンナーレを1年おきに見てきたが、日本館が賞に近づいたのはたぶん草間弥生と宮島達男の時くらいだけだろう。もし草間でもっと大きな作品を出していたら、あるいは宮島の後半の変なオリーヴ・プロジェクトがなければ賞を取れたかもしれない。それ以外は今回も含めて賞からはほど遠い展示だったように思う。
映画や建築やファッションでは日本は海外で多くの賞を取っているのに、現代美術はなぜだめなのか。そのうえビエンナーレは映画祭などと違って、国際交流基金を通じて毎回数千万円の公金がつぎ込まれている。なのに毎回反省もなく、賞を取りそうもない展示を繰り返している。そろそろ本当に賞を取るための明確な戦略を立ててみてはどうだろうか。今までのように若手の有望(そう)なキュレーターを順繰りにコミッショナーにしていたのではまず駄目だ。大御所クラスでもいいから本当に国際舞台を知り尽くしたコミッショナーに3回くらい続けて任せる必要がある。
出品作家も既にある程度海外で知られた存在を選ぶ必要があるだろう。あえて草間や河原温クラスを出してみてはどうだろうか。フランスのように委員会で作家を選んで、作家がコミッショナーを選ぶのもいいかもしれない。まずは「勝てる作家」を選ばないと話にならない。選考は1年前には終えて、時間をかけて売り出していく必要があるだろう。
ビエンナーレはキュレーターや作家が経験を積むためにあるのではない。参加することに意義がある時代は終わった。日本の作家が賞を取ることは日本の美術界全体に大きなメリットを及ぼすことをもっと考えた方がよい。税金を使うのだから、こうした「国益」を考えるべきだ。

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