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2009年9月28日 (月)

『セラフィーヌ』

来年岩波ホールで公開されるフランス映画『セラフィーヌ』(原題)を見せてもらった。まだ題名も確定していないし、マスコミ試写も始まっていないが、これがなかなかの秀作だった。

今年のセザール賞(フランスのアカデミー賞)で作品賞ほかいくつも取っていたので気になっていた。ストーリーは、19世紀末のフランスの田舎で家政婦をしながら絵を描いたセラフィーヌという実在の画家の生涯を描いたもの。
淡々とした控え目な映画の語り口が、ほとんど脚光を浴びることなく好きな絵を描き続けたセラフィーヌの生き方や彼女の描く絵そのものと重なって、見ているとだんだん盛り上がってくる。特にセラフィーヌを演じるヨランド・モローの演技は、歩き方、話し方などすべての動作の一瞬一瞬が、セラフィーヌという異端の画家の生き方を見せている。彼女なくしてこの映画の成功はありえないだろう。
ヨランド・モローはまだ横浜でやっていた頃のフランス映画祭で、『海が満ちる時』という監督・主演作の上映の折に舞台挨拶を見たことがある。映画自体が一人芝居で地方を巡業する中年女性の話で、挨拶もコミカルでまるで一人芝居みたいだった。『セラフィーヌ』も彼女が半分監督をしたようにさえ思えたがどうだろうか。監督のマルタン・プレヴォーの名前はあまり聞かないし。
セラフィーヌの絵は、今で言うと「素朴派」ということになる。フランスだとアンリ・ルソーとか、アンドレ・ボーシャンとかカミーユ・ボンボアとかの世田谷美術館が集めているような系列だ。実際に世田谷美術館にはセラフィーヌ・ルイの絵がある。セラフィーヌの場合は、ひたすら好きな花を幻想的に描いたもので、ぜひともマイヨール美術館にある大作を見たくなった。
この映画のもう一つの楽しみは、画家と画商の関係だ。セラフィーヌを偶然発見したのは、ドイツ人画商のウーデ・ウィルヘルム。第一次世界大戦で関係が途絶えるものの、また偶然に発見して絵具やキャンバスを与え、大作を描かせることになる。ウーデに出会うまでは誰も認めない素人画家だった。彼に最初にほめてもらった時のセラフィーヌの嬉しそうな顔。人間は好きなことをやれば幸せなようだが、やはり誰かに認められることがどんなに大事かとつくづく思う。
多くの人々に見てほしい作品。

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