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2009年11月 3日 (火)

『ヴィヨンの妻』に見る根岸吉太郎の深化

太宰治の映画化が流行っているが、『パンドラの匣』に失望していたので見るのを躊躇していた。友人が見ろ見ろというからようやく映画館で見たが、結果は予想をはるかに上回る出来だった。

太宰の世界の不思議なリズムは文章では表現できても、映像では意外に難しいというのが『パンドラの匣』を見ての感想だった。つまり、あの雰囲気や空間を再現しようとして、リアルさやサスペンスなどの映画的なものすべてがどこかに行ってしまっていた。
ところが、『ヴィヨンの妻』では、登場人物たちがみな曖昧な台詞の中に強い自己を表現する。まず浅野忠信のまじめとふまじめを適度に混ぜ合わせた演技が生々しい。浅野のように個性派の監督たちと何本も撮った俳優ならともかく、松たか子のようなブリっ子女優までもが、貧しさの中におかしさや楽しさを秘めた強い生き方を堂々と演じる。大根役者の広末涼子さえも、さらりと強くてクールな愛人役がぴったりだ。そのほか妻夫木聡、堤真一、室井滋、伊武雅人らもみんないい。本当に太宰の世界に近いかは別にして、役者たちの織りなす虚実の演技は、確実に一つの世界を形成していて、最後まで飽きることがない。
田中陽造の脚本もどこか鈴木清順的だけどうまい。美術の種田陽平が再現した戦後のドヤ街や列車もピタリと決まっている。蒸気機関車が走るだけで、感動してしまった。

今から四半世紀前に根岸が『遠雷』でデビューした時、学生時代の僕らの賛否は分かれた。あのベタな映画作りが僕はどこか好きになれなかった。しかし『ヴィヨンの妻』をもって、おそらく日本で最も演出力を持った監督になった。山田洋次や崔洋一の最新作と比べたらその差は歴然だ。

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