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2009年12月24日 (木)

内田樹氏の『日本辺境論』は役に立つ

内田樹という人は、現代思想を学生にもわかりやすいように強引に噛み砕いて人生訓にまでしてしまう幹事の、一種居直りのような印象があった。最新刊の新潮新書『日本辺境論』もそのような強引さはあるけれど、ちょっと腑に落ちるところもあった。

内容は単純で、日本は世界の辺境にあっていつも文化的劣等感をもって「きょろきょろ」してきたし、今もしている、ということだけだ。自ら哲学を持って世界に示すことはなく、世界の標準を探して効率よく学んできただけだという。これは丸山真男や梅棹忠夫のような天才たちは既に述べていたことだが、内田はあえて何度でも提起するべき主題だとしてこの本を書いた、と「はじめに」にある。「朝起きたら顔を洗って歯を磨くようなものです」。
確かに外国の評価を気にしながらキョロキョロしている自分、というのは思い当たる。特にサラリーマン時代に外国人と仕事をした時などは、相手に気に入られようとサルのように外国語を操り、外国風の交渉をしながら同時に妙な自己主張をして、いつも不思議がられていた気がする。
自分は辺境人だと自覚することは内田氏流の居直りかもしれないけれど、少なくとも無自覚で滑稽に陥るよりいい。

大学生の頃、今はなき加藤周一氏の講演を聞いた。文化交流についてだったと思うが、講演後に私は国際的な視野から見た日本文化の特質について質問した。「中国を中心とした儒教文化圏のちょっと変わった周辺文化かなあ」という彼の返事にショックを受けたことを思い出した。内田氏が引用する丸山真男もそうだけど、数少ない天才には昔から見えていたのだと思う。

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