宗教学者の読み解く資本主義
年末に島田裕巳氏の『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』を読む。島田氏は確かオウム教を支持していたという理由で大学を追われた人だが、その後の著作はどれもおもしろい。『創価学会』は中立的な立場からこの団体を歴史的にわかりやすく解説していたし、『日本の10大新宗教』は創価学会以外の天理教や真如苑などについても偏見なく教えてくれる本だった。
で、この本は彼が世界経済のなかにある宗教的要素を分析したものだ。以下はそのまとめ。
ユダヤ・キリスト教の核心には終末論がある。同時多発テロや金融危機を世の終わりのようにとらえる世界観にはこれが影響している。
アメリカの金融機関のトップが膨大な退職金を手にして逃げることは「ノアの箱舟」の選ばれた人の発想である。
アダム・スミスの「神の見えざる手」という発想も一神教の発想で、それが市場原理主義につながる。
市場原理主義と宗教的原理主義の台頭は1970年代末からの同時代的現象。双方ともに神の力を信じながら極端な方向に進んでしまう。
マルクス経済学は、資本主義の崩壊を予言した終末論に近い。マルクスは共産主義について具体的なプランは示していない。
ケインズのみが終末論に陥らず、資本主義社会の危機を回避する具体的な方策を示した。
日本の資本主義は共同体をベースにした「神なき資本主義」なので、キリスト教やユダヤ教の終末論をベースにした資本主義とは根本思想が違う。従って「神の見えざる手」に基づく金融資本主義は嫌われ、「ものづくり」に回帰してゆく。
この本はいわゆる「ユダヤ陰謀説」ではない。資本主義を宗教的に解釈する姿勢が新鮮だった。ただ少し「日本特殊論」に陥っているのが少し残念。中国や韓国はどうなのかと思ってしまう。
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