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2009年12月26日 (土)

「テレビみたい」な映画とは

ようやく『沈まぬ太陽』を見に行った。映画が始まった時はなぜかいろいろ思い出して泣きそうになったが、見ているとだんだん「テレビみたい」に思えて退屈してしまった。テレビに詳しい友人によると、「いい映画」と「悪い映画」があるように「いいテレビ」と「悪いテレビ」があるので、悪い映画を「テレビみたい」というのはおかしいと言うのだが。

最近映画好きに評判の悪い邦画に、テレビ局映画がある。「ごくせん」とか「Rookies」のようにテレビ局が自らの番組をもとに作った映画のことだ。それをテレビで大量にスポットを打って特番を作って当ててしまう。テレビ番組と関係なくてもテレビ局が製作の中心になる映画は多い。「アマルフィ」や「ゼロの焦点」などがそうだが、どちらも大衆向けのわかりやすいものばかりだ。映画ならではの味わいのある映画は少ない。

『沈まぬ太陽』は角川映画が製作し、東宝が配給していてテレビ局は全く関わっていない。大広告主である日本航空が反対している映画にテレビ局が関わることは不可能だったのだろう。でもできた映画は丁寧に作られているけれども描写が平板で、「テレビみたい」だ。有名な俳優をこれでもかと揃えているが、登場人物の顔だけの演技が重なって行くだけで、ここぞという見せ場がない。小説の重要なエピソードを再現して顔と台詞だけで物語が進む。これが私のテレビのイメージだけど、「テレビみたい」というのがいけないとしたら何と言ったらいいのだろうか。

配役で龍崎一清=瀬島龍三を誰が演じるかと思っていたら、品川徹さんだった。転形劇場の頃から異様な雰囲気を出していた彼を選んだのは良かったと思う。

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