大学改革とは何だったのか
昨日の日経新聞朝刊文化面で、90年代以降の一連の大学改革を再検討する動きが起きているという記事があった。笑ってしまったのは、11月にパリ第10大学で開かれた国際シンポジウムでは日本の大学改革の「失敗」に学ぶのがテーマだったというくだりだ。
グローバル経済の中で起こった先進国のさまざまな構造改革の中で、日本の国鉄民営化は世界的に極めて評価が高い。ところが大学はその逆の評価のようだ。
日本の大学改革は91年の学部カリキュラムの自由化と2004年の国立大学の独立行政法人化で、一般教養や英語以外の外国語は重視されなくなり、すぐに社会に役立ちそうな(実際はそうでない)講座や学部が増えた。「国際コミュニケーション」とか「環境情報」、「文化情報」、「総合政策」、「映像表現」、「表象文化」のたぐいである。
そうして生じたのは、大学生の教養や基礎学力の低下だ。あるいは教員の研究レベルの低下だ。
自分が大学で教え始めて、大事なのは普通の読み書きの能力だとつくづく思う。さまざまな状況や問題に対して、自分の考えをきちんと文章にできること、人前で話せることに尽きる。
日本の会社や役所は、新入社員を一から教えるという伝統があったはずだ。大学の専門は置いておいて、という考えは今も生きていると思う。それなのに大学だけは基礎教育を減らして今風の学問を教えてどうするのだろうか。
自分が大学に採用されたのも「今風の」流れに違いないから、あまり偉そうなことは言えませんが。
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