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2010年1月 2日 (土)

『1968』から始まる:その①

実を言うと年末の28日から今日まで、ずっと小熊英二氏の『1968』を読んでいた。同じ去年出て話題になった2冊本でも、『1Q84』ではないので念のため。
上下巻各約千ページ、原稿用紙にして5千枚という大著で、17章あるけれど各章が単行本くらいある。27日に本屋で、上巻のヘルメットをかぶったあどけない少女の表紙写真を見て、どうしても買いたくなった。何と計14,280円で、二冊持つと腕にぐっと重みがかかる。読み始めても重すぎて、ソファで片腕に支えることはまず無理だった。

驚くべきは分量ではなく、内容だ。1968年の日大と東大の闘争を真ん中に据え、1965年の慶大闘争から1972年の連合赤軍まで、ベ平連やリブ運動も含めながら微視的に語ってゆく。当時の新聞、雑誌、ビラから落書きに至るまでを詳細に比較分析し、その後の単行本などによる証言も批判的に検証する。現代史研究というのはこうやるのかと目が覚める思いだ。
これまで神話に包まれてきた学生運動がようやくわかったように思った。いままでの本や映画はどうしても関係者の証言を中心にしているため、武勇伝がかっていて全体像が見えなかった。これでようやく当時の社会的状況の中での意味や、学生運動の変容の軌跡がつかめたと思う。読むうちに「ああそうなのか」と思わず膝を叩くような、目から鱗の指摘や分析が何度も出てきた。

この本のすごいところは、この研究を現代の我々にとって何の意味があるのかと絶えず問い詰めているところだ。現代日本は脱工業化し、新自由主義と歴史修正主義が台頭している。それに対して「1970年代パラダイム」ではもはや意味をなくしたが、それに代わる言説が成立していないという。

私にとってはこの数年読んだ本で最大の収穫だった。これに近い衝撃は水村美苗『日本語が滅びる時』くらいしか思いつかない。この大著の内容についてはこれから折に触れて何度かに分けて書きたい。とにかく、今年はこの本から始まる。

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