桐野夏生の『IN』の恐ろしさ
不倫は怖い、しかしやめられない。主人公を編集者と不倫をする小説家に設定し、さらにその小説家は別の物故小説家の不倫を描いた私小説の真相を取材して書くというのが主なストーリーで、結果として小説というシステムそのものの恐ろしさを見せる奇妙な小説が、桐野夏生の『IN』だ。
前作の『東京島』はおもしろかった。しかし、今回はそれではすまない。小説を書く主人公自体が、不安定な位置にある。そしてその小説家は別の小説家の私小説の真実を探る小説を書きつつある。昔でいえば自己言及的な小説を書く小説だが、桐野はそれを日常的に、まるで大衆小説のようにあっけらかんと、そしてドロドロと書く。
結果として小説というものの恐ろしさをとことん見せてしまう。書くことの恐ろしさと、書かれたモデルたちの真実と嘘。小説の恐ろしさが、不倫という極限状態の中で浮かび上がる。
以下は引用。
「タマキはガンジス川の対岸の景色を思い出して、唖然とすることがある。朝靄をついて見えた彼岸は、渺茫とした何もない荒れ地だった。此岸は壮麗な建物が立ち並び、大勢の人々が祈りを捧げる声に満ちて、大変な賑わいだというのに。自分と青司は、『一線』とよばれるものを幾度も乗り越えて、『涯て』近くまで行かざるをえなかったのだ。無意識に超え、躊躇しつつ超え。そして、とうとう最後には、もう二度と元に戻ることのできない大河を渡ってしまった」
「小説が引き寄せてくる不思議な者たち。どこかの誰かに、自分のことが書いてあると勘違いさせ、居てもたってもいられない境地にさせ、密かに人生の針を狂わせる小説というもの」
最後の最後まで、戦慄が走るように仕込まれた小説だった。読んでいる自分にも記憶と痛みが幾度となくよみがえり、身につまされた。読み終わると笑っている著者が立っているような、奇妙な軽やかさもあった。
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