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2010年1月13日 (水)

私にとってのロメール

エリック・ロメールが死んだ。知ったのは昨日の朝9時過ぎ。新聞記者の友人から電話があった。「シネ・ヴィヴァン六本木で何本も見たよね」と話をした。
ロメールは同じヌーヴェル・ヴァーグのゴダールやトリュフォーと違って、最初の『獅子座』(1959)以来長い間日本で劇場公開されなかった。最初に映画館で公開されたのはたぶん『海辺のポーリーヌ』(1983)で、1985年のことだ。だから日本で最初から順を追って同時代的にロメールを見た人は、フランス留学組以外はいなかった。

私はたぶん80年代前半に、日仏学院で『獅子座』や『クレールの膝』『聖杯伝説』『コレクションする女』を16ミリで見ていたと思う。同時代的に封切り時に映画館で見たのは、『満月の夜』から。84年8月のパリで公開初日に見た。ロメールの講演会や、主演のパスカル・オジエのトーク・ショーなどにも行った記憶がある。パスカル・オジエがその直後に亡くなったショックは忘れない。「リベラシオン」紙に載ったデュラスの追悼文が美しかった。この映画は日本でも公開され、それから『緑色の光線』や『友達の恋人』、そして四季のシリーズなどその後のすべてを東京かパリで見た。

当時シネ・ヴィヴァン六本木でロメールの新作を見るのは、デートにぴったりだった。ゴダールやリヴェットほど難しくなく、知的な女子大生が好きなおしゃれな映画と思われた時代があった。ユールスペースでは『モード家の一夜』など60年代の映画が何本も公開された。『モード家の一夜』の謎のような夜の会話に心を奪われた。あんなにフランス的な内容にどうして日本人が感情移入できたのか、いま考えるとちょっと不思議だ。

1996年には、実は彼を日本に招待しようとしたこともある。パリのオデオン座の近くのレストランでジャン・ドーシェ氏が目の前で電話をして頼んでくれたが、「飛行機には乗らない」という返事だった。彼は結局一度も日本に来ていない。
2001年のベネチア国際映画祭で、彼が名誉金獅子賞を取った会場にも居合わせた。『グレースと公爵』が上映された。その時の記念シンポジウムにも参加したはずだが、彼が何をしゃべったのか、いっさいメモもない。
そして日本で『三重スパイ』を映画祭で見て、『我が至上の愛 アストレとセラドン』を映画館で見た。

一見軽やかに若者の世界を描きながら、厳密なショットと無駄のない編集を積み重ねて、人間存在の真実に迫った極めて知的な監督だったと思う。おそらくその重要性は、トリュフォーなどに比べても今後どんどん増すのではないだろうか。日本では、その後半の作品が80年代半ばから90年代までの“ミニシアター黄金時代”と見事に重なった監督だ。私の世代で映画好きならまず4、5本は見ているのではないか。現在においてある監督の作品のすべての作品をスクリーンで見ることはかなり難しいが、私にとってロメールは数少ないその一人だった。

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