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2010年2月12日 (金)

なぜ現代の日本でデモはないのか

『柄谷行人 政治を語る』を読んだ。学生の頃はニューアカばやりだったので彼の本は『意味という病』など何冊か読んだが、最近は全く読んでいない。この本はインタビュー集で、「60年代・70年代を検証する」という副題が気になって買った。

結論から言うと、相変わらず難しいがおもしろかった。すべてをこうである、と断定するのでまるで神のお告げみたいだ。社会主義は根本的に倫理の問題だ。経済成長のためなら資本主義がいい。倫理とは善悪ではなく自由のことで、そのためには資本主義を介在させないアソシエーションが必要だ、云々。

特に日本でなぜデモがないかを書いた後半の部分が気になった。選挙はデモクラシーではなく、寡頭制にすぎない。デモクラシーは直接的なデモによってのみ実現されるというのが柄谷の考えだ。
日本には自治的な個別社会がそもそも希薄である。ヨーロッパの近代は自治都市、協同組合、ギルドその他のアソシエーションが強化されてネットワーク化された形で「社会」ができて「国家」と対峙したが、日本では封建社会にあった個別社会を明治以降解体して、「社会」がそのまま「国家」となった。さらに1990年代に、労働組合、創価学会、部落解放同盟、大学教授会といった中間組織もつぶされた。アソシエーションの伝統があれば、インターネットはそれを助長することもあるが、日本では逆に「原子化する個人」を増大させ、排他的・差別的に傾く。

デモをするためには、日本にもっとアソシエーションが必要があるという。実際に自分の周りを考えると、でもどうやって、と思う。お金儲けでない自由な活動ならみんな趣味でいろいろやっているが、国家や資本主義に対抗するようなものはなかなかできない。「アソシエーション」と言うのは簡単だが、実践は別問題だ。

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