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2010年2月 3日 (水)

『ゴールデンスランバー』の不完全燃焼感

娯楽映画の楽しみの一つは、いくつもの小さな仕掛けが折り重なって最後に結実してゆくことだ。とりわけサスペンス映画ではすべての仕掛けが機能することが重要な要素となる。ヒッチコックやハワード・ホークズはその天才だが、アメリカ映画はおおむねその部分はしっかりしている。
『ゴールデンスランバー』はそこが決定的に弱い。

ラストの花火が上がるシーンはそれまでの仕掛けが十分でなく、首相暗殺に使われたはずのラジコン飛行機もまたしかり。あるいは最初に出てきて車と共に爆破される友人は何だったのか。
原作は読んでいないが、ともかく映画としては冒頭に首相暗殺という事件を掲げてその解明に向かうというサスペンスの形を取りながらも、見ていて不完全燃焼感がどんどん強まってくる。
その代わりが大学時代へのノスタルジーなのだろうが、ちょっと甘すぎる。
それにひきかえ、主人公の堺雅人を初めとして、警察官の香川照之などへの演出は的確だ。そのほか柄本明の病院患者、ベンガルの花火師、伊東四朗の犯罪者の父などの脇役が抜群におもしろい。

結局のところ、問題は脚本なのだろう。たまたまDVDで見直したイタリア映画『愛と欲望 ミラノの霧の中で』(イタリア映画祭では『私たちの家で』)は、女性刑事が資本家ややくざを追い詰める話だが、仕事も階級も異なる10人近くが織りなす人間ドラマにもかかわらず、実によくできていた。小さなディテールがどんどん大きくなり、多くの人間がつながってゆく快感があった。仕掛けが確実に機能している。こんなにいい映画が劇場公開なしのDVDのみとは。

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