『文学全集を立ちあげる』に大笑いするも・・・
文庫になったばかりの『文学全集を立ちあげる』を読んで、大笑いしてしまった。丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士の3人が集まって、もし新たに文学全集を作るとしたら、という仮定のもとに大放談をしたものだ。かつては多くの家庭に文学全集があったものだが、もはや採算が取れないのでどこの出版社も出したがらない。ならばリストだけでも作ろうと3人が集まって、「この作家は1巻」とか「こいつははずす」とか息巻いたもので、世界編と日本編の2部構成。
おもしろい理由の一つは、3人の個人的な文学的体験が読めることである。例えば丸谷才一は、学生時代に嫌みな歯医者の本棚にロマン・ロラン全集があったから、ロマン・ロランは入れたくないとか。
かつて人気のあった作家でも、現代では全く評価が低い場合が多いのも興味深い。北村透谷を鹿島は「情熱だけで、中身がない、全共闘のアジ演説に似ている」。
漱石は3巻なのに、芥川は何と菊池寛との合本になってしまう。三浦は「中島敦入れるなら、芥川はいらないと思う」とさえ言う。堀辰雄に対して、鹿島は「『晩夏』以外は、なんかもう「恥を知れ」というような感じだな」。小林秀雄については、3人とも「よくわからない」と言って、保田與重郎と合本にする。
それより何より驚くのは、3人が古今東西の文学を実によく読んでいることだ。英文学者の丸谷や仏文学者の鹿島がなんでこんなに日本の古典にくわしいのか。私は毎日「今の若者は教養がない」と言っているが、この3人の世代にくらべたら、僕らの世代は既に絶望的に教養がない。
あえて言い訳をすると、この3人の世代の知的な文系学生にとっては、文学が一番の娯楽だったのだと思う。今の若者はゲームとか携帯とかやることが多すぎる。もはや現代には文学青年や文学少女はいないのだろう。
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