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2010年3月24日 (水)

蘇る山中貞雄

千葉伸夫氏の『評伝 山中貞雄』を読んだ。たまたま『人情紙風船』の1000円のDVDを見つけて買って、久しぶりに見たらあまりにもおもしろかったので、何か読みたくなった次第。
評伝というからには、監督論や作品論ではなくてその人生を追ったものだが、当時の雑誌を中心に資料を駆使して山中がどんな人間だったかを描いており、最後に28歳で亡くなるところまで来ると泣けてしょうがない。

各章の最後に「のこされた山中の人生は六年十カ月だった」という具合に、残りの月日が示される。ちなみにこれはデビューするまでの第一章の終わりに書かれたもので、わずか6年あまりでで23本も撮っていることに改めて驚く。各章の終わりのこの記述を読むごとに、胸が締め付けられてくる。
読んでいると、若き山中が内外のあらゆる映画を見て映画の技法を学ぶと同時に、小説を読み芝居を見て物語の構成を身につけている様子が浮かんでくる。それでいて酒を飲みだすと止まらず、みんなに愛されていた。

1936年に日本映画監督協会ができた時の18人のメンバーに、山中は27歳の最年少で参加している。ちなみに小津33歳、成瀬31歳、溝口38歳。40代が4人、30代が13人で、日本映画が本当に若かった時代だ。生きていたら、山中は戦後も十分に活躍できた世代だと改めて思う。

山中に召集令が届いたのは、『人情紙風船』の初日だ。撮影所でも夕方試写が組まれて、終わって芝生で雑談している時に来たという。「人情紙風船が最後の映画では浮かばれない」と言ったらしい。山中は品川の小津宅を訪ねる。小津の母は山中のために、あわてて深川八幡の札をもらいに出かけた。その小津にも二週間後に召集令が来る。

中国で小津は山中に会いに南京に行く。わずか30分ほどだったが、二人は監督協会宛てに連名で葉書を書く。

山中は病気になり、野戦病院に入院する。彼に宛てて仲間たちが慰問文を寄せ書きしている。「病にたをれた君のことを心配している 島津保次郎」など。それは清水宏に託されたが、山中はそれを読む前に亡くなった。

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