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2010年4月29日 (木)

本を捨てること

福岡伸一氏の文章は好きでよく読むが、一週間前の週刊文春の連載で、大学院の時にアメリカへ行くことになって本を一切合財5万円で売った話が書かれていた。「その後、何度も何度も苦い悔恨にさいなまれた。あの本がもう一度読みたい。たしかどこかにこんなことが書いてあったはずだが。その素敵なフレーズは正確にはどんな表現だったのか……私にとって、私の蔵書は私の時間そのものだったのだ」。彼は今後はiPadで間に合うような結論を書いているが、本気だろうか。

私は勤め始めて5年くらいたった時に大量に本を売った。市川から都内に引っ越す時に整理した訳だが、神田の古本屋に来てもらって、高校や大学の時に買った本の大半を売った。漱石、鴎外、芥川、魯迅に林達夫、加藤周一、森有正などの箱入りの全集。岩波の古典文学大系や、日本思想体系などの、そこにあるだけで教養が漂ってくるような立派な箱入りの本。あるいはレヴィ=ストロース、フーコー、デリダなどの、大半は読まなかったフランス現代思想の分厚い本。映画の本は残したが、全部で7万円ちょっとだった記憶がある。今はそのことをひどく後悔している。理解していたかどうかは別にして、自分が時間を費やした文学や思想がそこにあったから。森有正や林達夫の本などは、今は簡単には手に入らない。

今朝の朝日新聞の「論壇時評」では、福岡氏はこう書いていた。「紙の書籍や紙の新聞に私たちはずっと特別な手触りや愛着を感じてきたからである。/でもそれは私たち旧世代の感覚であろう。これから生まれてくる世代にとっては、iPad(あるいはそれに類するもの)は、ハイテクでもなくローテクでもない。……タンジブルな第一言語としてそこにある」。少し安心した。確かにタンジブル=手に触れる感覚が本の良さだ。20年前に売った本の手触りはまだ残っている。

そういえば「論壇時評」が夕刊から朝刊に移動し、スペースも大幅に増えている。こういう面は増えた方が新聞らしくていい。論壇のメインが東浩紀氏のようだが、彼に毎月書くだけのネタがあるのだろうか。

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