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2010年4月19日 (月)

スラヴォイ・ジジェクの『アバター』論

仏誌Les cahiers du cinemaの3月号にスラヴォイ・ジジェクが『アバター』論を書いていた。ジジェクと言えば、構造主義以降の哲学者のスターとして邦訳も山ほどあるが、映画をめぐる文章も多い。さすがに『アバター』のように、文化論的議論を呼ぶような映画には何か言いたいのかもしれない。

まず彼はこの映画を「ハリウッドの模範的マルクス主義映画」と定義する。「カップルのできる昔ながらのパターン、ファンタジーへの絶対的な信頼、白人が土着民のプリンセスと結婚して王になるという古いトポスのナイーブな繰り返し」がそれである。この映画は「イデオロギー的に見ると、むしろ保守的で古くさいゲームであり、新しいテクノロジーの成功はむしろこの根本的な保守性を隠すために貢献している」と書く。
「この映画の教訓は明らかだ。土着民は人間によって助けられるか、破滅させられるかしかなく、どちらにしても人間の手の内のおもちゃである。最後には、彼らは帝国主義的な野蛮な現実に従うか、白人のファンタジーの中のエキストラとして生きるしかない」。さすが、私が感じた居心地の悪さを的確に指摘している。
誰か全文を訳してくれませんか。

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