『徒然草』の現代性:その(1)
最近、このブログに本についての話を書いていないのは、ある一冊の本を丹念に読んでいたからだ。それは『徒然草』で、言わずと知れた古典だが、いつもの通勤途中の本屋でちくま学芸文庫版をふと手にした。本文の後に島内裕子氏の現代語訳と解説が載っていて、実に読みやすい。全文を読み通すと、これまで主に高校で学んだイメージとかなり違って、ずいぶん現代的な感じだ。
まず、兼好は極めて都会的でエレガントな暮らしを目指した人のように思える。宮廷のさまざまな約束事(有職故実)に目を光らし、それを守らない人を田舎者と馬鹿にする。感情の露出を押さえ、シンプルで淡々とした孤独な生活を理想とする。家族や子供を始めとする集団を嫌う一方で、時々会いに通うような愛人関係をほめたたえる。
今日は以下の文章を引用する。
【第七十二段】
賤しげなる物。居たる辺りに、調度の多き。硯に、筆の多き。持仏堂に、仏の多き。前栽に、石・草木の多き。家の中に、子・孫の多き。人に会いて、言葉の多き。願文に、作善、多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。
要は、家の中に調度が多かったり、庭に草木が多かったり、子や孫が多かったり、しゃべり過ぎたりするのは、みんなみっともない、ということだ。
多くてもいいのは2つしか書かれていない。本棚の本と、ゴミ溜めのゴミ。ずいぶんふざけた書きぶりだが、気持ちがわからないこともない。本が多いのは快適だし、ゴミは家の中ではなく、ゴミ溜めにある方がいい。
これからも折にふれて『徒然草』を引用したい。
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