« 映画原理主義者ペドロ・コスタ | トップページ | カラダに効く食事と「動的平衡」 »

2010年5月14日 (金)

『徒然草』の現代性:その(2)

高校の時に習った『徒然草』で絶対に出てこないのが、夫婦という制度を非難し、愛人関係を礼賛する部分だ。『徒然草』にこんな文章があるとは、実は今まで知らなかった。兼好には、家族制度そのものを否定するような過激さがある。とても高校では説明できない段だ。

【第百九十段】
妻という物こそ、男の持つまじき物なれ。「いつも一人住みにて」など聞くこそ、心憎けれ。……まして、家の中を行ひ治めたる女、いと口惜し。……
いかなる女なりとも、明け暮れ添い見んには、いと心付け無く、憎かりなん。女の為にも半空にこそ成らめ。余所ながら、時々通ひすまんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひとも成らぬ。あからさまに来て、泊まり居などせんは、珍しかりぬべし。

前段は、妻を持ってはいけない。「一人身で」というのがかっこいい。主婦は特にいやだ、というもの。
後段は本の訳から
「どんな女だって朝から晩まで一緒に向かい合っていたら、ひどく意に添わず、嫌に思ってしまうだろう。このような愛の冷めた家庭生活は、女のためにも、中途半端でよくない。別居していて、時々、男が女の家に通ってくるというのが、何年経っても、男女関係が途絶えない秘訣なのだ。ちょっとやって来て、一晩泊っていくなどというのは、きっと、とても新鮮な気がするに違いない」

そりゃそうだろうけど、普通は言わない話である。恋愛に対するロマンチックな考えでもあるが。

|

« 映画原理主義者ペドロ・コスタ | トップページ | カラダに効く食事と「動的平衡」 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/48353862

この記事へのトラックバック一覧です: 『徒然草』の現代性:その(2):

« 映画原理主義者ペドロ・コスタ | トップページ | カラダに効く食事と「動的平衡」 »