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2010年6月27日 (日)

自然に還ること

年をとると、時々死後のことを考える。天国とか地獄はあまりリアリティがないから、やはり自然に還るのがいいのではないかと思う。そうなると火葬というのは、骨は壷に残るしあまり良くないのではないかと。
ところが最新の「週刊文春」の福岡伸一氏の連載を読んでいたら、「火葬になったとしても、自然の食物連鎖の中に入ることができる」と書かれていた。

まず「タンパク質や炭水化物や脂肪の大部分は高温で燃やされると、二酸化炭素と水蒸気になり、火葬場の煙突から大気中に拡散してゆく。それらは食物を育てる糧となる。タンパク質中の窒素も酸化され、大気や大地に広がって微生物によって有効利用される」。
それでは骨はと思うが、「骨灰は、墓にいるにしろ散骨されるにしろ、長い時間を経て自然の循環の中に還る」。

それどころか、生きている時も瞬間ごとに自然に還っている。「呼気や排泄物は、自然の中に散らばり、たえず、他の生物の生命活動によってパスされてゆく」。

人間だけが食物連鎖から外れている、と考えることこそ人間の傲慢な考えかもしれない。「動的平衡」という福岡氏の考えは、人間の組成は絶えず入れ替わっており、一カ月で全く別のものから成り立っているというもので、まさに食物連鎖そのものだ。これを考えるとなんだかずいぶん気分が楽になるし、毎日食べるものを真剣に考えようという気になる。

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