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2010年6月 6日 (日)

『あの夏の子供たち』と新聞評

今春のフランス映画祭で見たミア・ハンセン=ラヴ監督の『あの夏の子供たち』が、恵比寿で上映が始まったのでまた見に行った。最初に見た時は、自殺した映画プロデューサーに今の日本の映画界を重ね合わせて暗澹たる気分になったが、今度見るとむしろ父の死後の女たちの生き方が印象に残った。

気になって新聞評を調べてみた。どの新聞も公開前日の28日(金)夕刊に大きな映画評を載せていているのは、さすがに見識だろう。しかし文章には差がある。
父親の死後について最も魅力的に論じているのが、日経の野崎歓氏だ。「遺された娘たちの姿が、みごとに捉えられている。……彼女たちを包むパリの町の表情がすばらしい。母親を中心に支え合う一家を、真夏の透明な陽光が侵す」。毎日は記者が書いたものだが、なかなかいい。「しかし、この映画は母子の心の中をそっと語り始める。感傷に浸ることなく、心を寄せ合って立ち上がろうとする姿を淡々と描き出すその愛情あふれるまなざしがこの映画をより深く豊かにしている」。
父親中心に書いてしまったのが、読売の土屋好生氏(元記者)と、朝日の石飛記者だ。男の生き方を論じるような、オヤジ文体だ。特に石飛記者は「何と堅実な男だろう」と締めくくる。後半の女たちの生き方を描いた、女性監督ならではの繊細な部分には反応しなかったようだ。ちなみにこの記者の映画評はエッセーとしては読ませるが、時おり映画の本質からずれている。

残念ながら誰も触れていなかったのが、この映画に時々出てくる闇の魅力だ。最初の交通違反の夜に始まって、事務所の建物の入口、自殺直前の電気を消した部屋、死後の停電など暗闇が随所に効果的に使われている。それがあるからこそ、パリや郊外、あるいはイタリアの夏の光があのように美しく、感動的なのだが。

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