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2010年7月24日 (土)

黒澤明生誕百年:その(2)

最近出たばかりの西村雄一郎著『黒澤チルドレン』を読んだ。世界中の監督がいかに黒澤を尊敬していたかという本で、スピルバーグからコッポラ、スコセッシなどは想像していたが、何とタルコフスキー、フェリーニ、ヘルツォーク、カサヴェテスまで、外国の監督だけで19人。

日本の監督は、宮崎駿、北野武に始まって、本広克行に至るまで18人。なぜ日本人が1人少ないのかは別にして総勢37名の絶賛は圧巻だ。そこに日本の俳優も加わる。中身を読んでみると噂話に過ぎないものもあり、ところどころ記述は怪しいが、それにしても多い。

例えば溝口健二でも小津安二郎でも成瀬己喜男でも、こんなことはありえないだろう。その理由を考えて見ると、「溝口や小津はマネしようがないが、黒澤の映画はパクリやすい」ということになるのではないだろうか。溝口の登場人物を冷酷に追い回す長回しや、次から次に不思議なカットを重ねてゆく小津の手法は誰も真似ようがない。成瀬だって、歩きだす不幸な男女を追いかけるカメラの不穏な動きを、彼以外の誰ができるだろうか。
黒澤の映画の魅力は手の込んだアクションであり、編集の妙だ。それはハリウッドの古典的映画の延長線上にあるから、『荒野の用心棒』や『荒野の七人』のようなリメイクが作りやすい。『用心棒』だって、ダシール・ハメットの小説や西部劇『シェーン』を真似たことは黒澤自身が認めていたと思う。つまり彼の作劇や演出には古今東西の映画が流れ込んでおり、彼の作品からも多くの映画が生まれてゆく構造だ。

世に古典と言われる映画は多いが、黒澤の『七人の侍』や『用心棒』ほど引用され、パクられた映画はあまりないのではないか。そういう観点から黒澤について考えて見るとおもしろいかもしれない。古典でも確かに『市民ケーン』や『鳥』や『ゲームの規則』は真似ようがない。

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