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2010年7月29日 (木)

ペドロ・コスタが語るポルトガル映画史

9月17日からフィルムセンターで「ポルトガル映画祭2010」が開かれるが、その盛り上げのために『何も変えてはならない』の公開を31日に控えたペドロ・コスタ監督が、ポルトガル映画史について語った。
彼の最初の来日に係わった縁もあって、久しぶりにアテネ・フランセに出かけて行ったが、これが思いのほかおもしろかった。

まず、「最も尊敬するポルトガルの映画史家はジョアン・ベルナルド・ダ・コスタ」。ポルトガルのシネマテークの館長を長年務めた人で、ペドロが通った国立映画学校で映画史を教えていたという。
「ダ・コスタによれば「ポルトガル映画は存在しなかった」。なぜなら1926年から76年まで独裁政権下にあったので、ろくな映画が作られなかったから」。「マノエル・デ・オリヴェイラだけが例外。ダ・コスタは学校ではオリヴェイラ以外は外国映画ばかり見せていた」。「日本で溝口しかまともな監督がいないような状況を想像して欲しい」。それは確かに大変だ。「1908年生まれのオリヴェイラがサイレントを撮っていたら、20年代のポルトガル映画史は豊かになっていたのに」。考えて見ると、同じ年に生まれたマキノ雅弘も、翌年に生まれた山中貞雄もたくさんサイレントを撮っている。

「その次の世代は、パオロ・ローシャとジョアン・セーザル・モンテイロ。パオロ・ローシャの『青い年』は、僕らにとってゴダールの『勝手にしやがれ』やトリュフォーの『突然炎のごとく』のような存在だった」。この作品は映画祭でやるので楽しみだ。「モンテイロは挑発的な映画を撮り、実生活でも挑発的で、言うべきでないことをいつも言っていた。彼の文章はすばらしく、ダ・コスタと並ぶ評論家でもあった」。今回の映画祭では『黄色い家の記憶』など3本が上映される。「モンテイロと仲良くなったが、彼に「ポルトガルで映画監督で食っているのは君と僕だけだ」と言われた。彼が死んで本当に寂しい」。
「それから、アントニオ・レイスがいる。国立学校の授業ではダ・コスタと彼の授業だけがおもしろかった」。レイスの『トラス・オス・モンテス』も、今回日本初上映だ。「レイスのことをダ・コスタは「最も囚われた存在でありながら、最も自由な存在」と言っていた。これはポルトガル映画全体に当てはまる」。

「ポルトガル映画は詩的な映画しかない。プロットや物語より詩。一般の観客からは遠い映画ばかり作ってきた」。「ポルトガル映画は存在しなかった、のではなく、砂漠の中にいくつかの花が咲いていた状態」。年に10本余り、大衆から離れた難しい映画ばかり作っている国はないのではにあだろうか。そのうえ、その半数が国際的に高い評価を受けている。

「ポルトガル映画祭2010」が楽しみになってきた。それにしても、ペドロ・コスタは聡明だ。

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