「新聞の映画評」評:8/6『セラフィーヌの庭』
昨日の夕刊各紙を見て、ちょっと驚いた。私はてっきり『セラフィーヌの庭』がメインの扱いだろうと思っていたからだ。朝日では全く触れられておらず、読売は小さな紹介だ。大きな扱いは日経と毎日のみ。
朝日も読売も話し合ったかのように『ヒックとドラゴン』をトップに、『シルビアのいる街で』と『ペルシャ猫を知らない』を並べていた。『ヒックとドラゴン』は私には関心がないのでともかく、問題は2本のアート系作品だ。
『ペルシャ猫を知らない』はもちろんおもしろい。しかしホフマン・ゴバディ監督としては、少ない予算でドキュメンタリータッチで巧みに撮った小品で、『酔っぱらった馬の時間』や『亀も空を飛ぶ』ほどの衝撃はない。読売も朝日も「当局の許可を得ずゲリラ撮影を敢行」とか、「ゴバディは亡命中」とか政治的な状況について触れているが、それに引っ張られ過ぎていないか。私はこの映画の演出に、イラン映画によくある詐欺師的なうまさを感じた。
『シルビアのいる街で』は、映画青年が作ったような映画だ。朝日は「映画とは何か―。答えを知りたければ…この作品を見ればよい」と大見えを切り、読売は「詩的で優雅な映像の旅に、しばし酔わされた」と絶賛する。本当にそれほどのものだろうか。異国の街で気に行った女性をつけてゆくという男性好みの筋立てを、丁寧な撮影と録音で仕立てたもので、私には映画原理主義者の作品に見えた。こういうものばかりほめると、映画はどんどんやせ細ってゆく。他者不在の男性中心的な視点も気になる。朝日と読売で絶賛したのは共に男性筆者だったが。
それに比べて『セラフィーヌの庭』は、人生そのものを描く、オーソドックスな強さを持つ。これまで画家を描いた映画は数多いが、これはその中でも最高傑作なのではないか。とにかく主演のヨランド・モローがすごい。「憑依という言葉で足りないヨランド・モローの名演技から、一瞬たりとも目がそらせなくなる」と書いた毎日の記事に全く同意する。
もちろん私は『ペルシャ猫を知らない』も『シルビアのいる街で』も好きだが、あまりほめすぎてはいけない映画の典型だと思う。
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