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2010年8月 2日 (月)

スーゾ・チェッキ・ダミーコ追悼

今朝の朝日新聞に出ていたが、スーゾ・チェッキ・ダミーコがこの週末の土曜日に96歳で亡くなった。戦後イタリア映画の黄金時代を担った女性脚本家で、デ・シーカ、アントニオーニ、ヴィスコンティ、ゼフレッリ、ロージなどの脚本を書き、係わった作品は100本を超す。実は6年前のちょうど今頃、ローマで会ったことがある。

彼女はボルゲーゼ公園近くのアパートの最上階に犬と住んでいた。90歳とは思えないくらい若々しく、青い大きな目と真っ白のシャツが印象的だった。『ベリッシマ』から『イノセント』まで10本の作品を担当したヴィスコンティとは最も親しく、その共同作業の様子を細かに話してくれた。「こうなったのよ」E fatto cosi というのが口癖の、謙虚な実に温かい女性だった。

ヴィスコンティはアイデアが浮かぶと、彼女を電話で呼び出す。二人で話していると大筋ができあがり、彼女が書き始める。書いては見せ、書いては見せているうちにできあがる。『ベリッシマ』の頃は時間がかかったが、だんだん「あうん」の呼吸になっていって、後半は彼がやりたいことがすぐにわかったという。いつも現場につきあって、セリフの直しをしたという。

会った時も進行中の脚本がある、と言っていた。調べて見ると、日本で公開された『ふたりのトスカーナ』(01)とか、スコセッシの『私のイタリア旅行』(01)など最近の脚本も手がけている。「イタリア映画の女王逝く」という見出しのイタリアの新聞のサイトもあったが、とにかく戦後イタリア映画史を体現した女性だった。「それまでの男性中心のイタリア映画に女性の視点を加えた」という文章もあった。

ところで今朝の読売や日経には彼女の死亡記事は出ていなかったが、ひょっとして誰だかわからなかったのだろうか。「レプブリカ」などのサイトを見ると、長文の記事でナポリターノ大統領まで追悼のコメントを出しているのに。
そういえば、朝日の記事では「ルキノ・ビスコンティ監督やフランコ・ゼフレッリ監督らの巨匠の作品の脚本を数多く手がけた。主な作品に『山猫』『家族の肖像』『ベリッシマ』『シシリーの黒い霧』などがある」と書かれているが、どうしてデ・シーカの『自転車泥棒』や『ミラノの奇跡』がないのか。もちろんチェーザレ・ザバッティーニとの共同脚本とはいえ、自転車を盗むという話を考えたのは彼女なのに。ちなみに海外の報道ではだいたい「『自転車泥棒』と『山猫』の脚本家」とされている。

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