真夏に読む初期マルクス
マルクスというのは、大学生の時に『共産党宣言』をめくったくらいで、読んだことがなかった。急に読もうと思ったのは、例のわかりやすい現代訳を出している光文社から『経済学・哲学草稿』が出たからだ。マルクス26歳の本で、社会に対する若さゆえの直接的な怒りが伝わってきておもしろい。翻訳も読みやすい。
何といっても疎外論が一番興味深い。まるで今日のフリーターの群れを見るようだ。
「第一に、労働が労働者にとって外的なもの、かれの本質とは別のものという形を取る。となると、かれは労働のなかで自分を肯定するのではなく否定し、心地よく感じるのではなく不仕合せに感じ、肉体的・精神的エネルギーをのびのびと外に開くのではなく、肉体をすりへらし、精神を荒廃させる。だから、労働者は労働の外で初めて自分を取りもどし、労働のなかでは自分を亡くしている」
私有財産についてはこう書く。
「物質的な、直接目に見える私有財産は、疎外された人間の生活を物質的・感覚的に表現している。……とすれば、私有財産の積極的な廃棄による人間的な生活の獲得は、すべての疎外の積極的な廃棄であり、人間が宗教、家族、国家、等々から解放されて、人間的な―つまり社会的な―存在へ還っていくことだ」「私有財産のおかげで、わたしたちのものの考えは大変に愚かで一面的なものになっているため、なにかを自分のものだと感じるにはそれを所有しなければならない。……かくてすべての肉体的、精神的な感覚に代わって、すべての感覚を単純に疎外したところに成り立つ「所有」の感覚が登場してくる。人間は、自分の内面的な富を自分の外に産み出すために、所有の感覚という絶対的貧困へと追い込まれざるをえなかったのだ」
「所有の感覚という絶対的貧困」という言葉は、妙に今の自分にこたえる。マルクスの疎外論は、現代でも通用するだろう。特に共産主義へと向かう以前の初期マルクスは実にリアルだ。この本が書かれたのは1844年。
それにしても、人間の解放のために私有財産を否定して作られた共産主義国家が、独裁政権や官僚主義の支配する国になってしまったのは、何という歴史の皮肉だろう。
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コメント
次は、アルチュセールで認識論的断絶ですね。疎外論の次にくるものが80年代までははやりでしたが、最近は原初的な疎外論に戻っています。
私は80年代に親しみがあります。
投稿: kenyama | 2010年8月17日 (火) 15時27分