就活が大学の半分を占める
大学の教師をしていて一番つらいのは、就職が決まらない学生の相談を受ける時だ。まじめな学生は3年生になると準備を始める。それからもう一年たって、50を超す企業から不採用の通知をもらったり、あるいは何の通知も来なかったりすると、20歳を超えたばかりの学生は、社会から自分を完全に否定された気分になって、ボロボロになる。
「僕はこのまま一人で食っていけないのでしょうか」と言われると、「人生何が起こるかわからないから」などと慰めても、全く足しにならないことは言っている自分がわかっている。「同情するなら仕事をくれ」である。
人がうらやむような就職先(例えばテレビ局とか大手広告代理店や大手出版社)に決まった学生もいるにはいる。そういう学生に話を聞いてみると、だいたいが3年生になった瞬間から就職シフトにしたと言う。有料でもあらゆるセミナーなどに出席し、あらゆるツテを頼ってその業界の人に会いに行く。誘われれば大人の飲み会にも出る。大学は息抜きでした、と言い切った学生もいた。
そうして決まった学生はいい。4年生になる直前か直後に内定をもらって、あとは好きな勉強でも遊びでも打ち込める。しかし大半はそうはいかず、えんえんと就活を続ける。考えて見たら、3年になったすぐに始めて、4年の終わり近くまで就活に費やす学生が相当いるわけだ。
大学の半分を就職のための企業回りに費やすなんてどこかおかしい。数ヶ月前の新聞で、テレ朝の社長が3年生の2月や3月に内定を出すことについて、「2、3月は授業がないし、4月以降は一年間学問に打ち込めるのでいいはず」と言っていたのを思い出した。そりゃ決まった学生はいいけど、決まらない大半の学生はあと1年間就活を続けることは、この社長の頭の中にはない。
四半世紀前、私も就活をした。当時は「就職活動」ではなく、「就職運動」と言った気がする。運動の時代の名残だろうか。テレビ局と百貨店を受けたが、4年生の7月末に海外留学から帰ってきても、どうにか間に合った。経団連などの取り決めが10月1日だった時代だ。是非ともそれくらいに戻して欲しい。就活はせめて半年、長くても一年にしないと、大学の意味が薄れてしまう。それより何より学生が長すぎる就活に疲れて、ボロボロになってしまう。
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コメント
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
投稿: 履歴書の添え状 | 2010年9月 1日 (水) 23時36分