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2010年8月12日 (木)

アニメの不思議さ

先日六本木で時間をつぶすのに『借りぐらしのアリエッティ』を見たら、期待以上におもしろかった。数日前にフィルムセンターで日本のアニメの先駆者、大藤信郎の展覧会をみたばかりだったので、アニメについていろいろ考えを巡らせた。

『借りくらしのアリエッティ』のおもしろいところは、小人たちが人間のものを借りながら、この何倍もの小さな規模で生活をしているところだ。床上と床下のマクロとミクロ。それだけで「もうひとつの世界」や「知られざる他者」といった映画的な空間が広がっている。
日本のアニメは、省略が多い。とりわけ人間の表情は敢えて類型化する。少年やアリエッティのあまり動かない表情は、映画的な空間に置かれた時に、不思議な力を発揮する。朝日新聞で佐藤忠男氏が「この大人びた男の子の弱い者に対するデリケートな気くばりは、実写ならばはたして子役の演技でできるかどうか」と書いているのは正しいと思う。アニメゆえの表情の少なさがうまく機能している。
物語自体はたわいない。毎日新聞に「お話そのものは導入部分で終わった感があり」と書かれている通りだ。宮崎駿の複雑な世界観に比べると、微視的すぎるかもしれない。
この映画のもう一つの見どころは、凛々しいアリエッティの動きだろう。両親に従いながらも自分なりに考えて懸命に生きてゆくところが何とも健気で見ていて心地よい。

一方、大藤信郎の展示を見ると、アニメは最初から抽象だったのだと痛感する。1920年代後半から、千代紙を素材に、侍や童話の世界を色鮮やかに構成してゆく。戦後は色彩セロファンを組み合わせた影絵だ。彼においてアニメは映画よりも美術やデザインに近い。この展覧会は9月9日まで。

六本木の東宝シネマズで平日の夕方に見た『借りぐらしのアリエッティ』には、子連れの若いお母さんが多かった。近所に住んでいるのか、みんな金持ち風だ。そのうち一人が上映中にメールを打っていたので注意すると、逆ギレされたのには驚いた。その母親は何度も席を立っては戻ってきた。メールを打ちに行ったのか、あるいは係員に私を追い出せとでもと言っていたのだろうか。そのうち途中で子供と出て行った。日本人の劣化は止まらない。

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