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2010年9月 4日 (土)

ベネチア国際映画祭:その(2)

2日目も4本を見た。なかでもおもしろかったのが、ソフィア・コッポラの『どこか』Somewhere。『ノルウェーの森』の撮影の美しさにも圧倒された。ほかにロシア映画とフランス映画を見てかなり疲れた。

コンペの『どこか』は『ロスト・イン・トランスレーション』に似て、ロスにある「シャトー・マルモン・ホテル」に住む有名な30代の俳優の物語だ。とりわけ娘との関係がポイントで、どこか監督自身の父親との関係を想像してしまう。外から見るとセレブの世界が実はくだらないことの積み重ねで、その日常の中から、何とも居心地の悪い、人生の裂け目のようなものが浮かび上がってくる。ローマへの出張に娘と行って、テレビに出るくだりなどは本当におかしい。この監督は映画らしくない題材を扱いながら、いつのまにか映画にしてしまう天才だ。

同じくコンペの『ノルウェーの森』は、逆に映画的なシーンを懸命に作りだそうとしながら、結果としてどこか映画から遠ざかっているようにも思えた。もちろんリー・ピンビンの撮影はすばらしい。しかし菊地凛子を除いては、松山ケンイチを始めとする登場人物にどこかリアリティがない。セリフは棒読みだし、1960年代を再現しているはずなのに、あまりその時代の匂いがしてこない。監督がベトナム人で撮影が中国人ということもあってか、どこか無国籍的な雰囲気が漂う。その意味では村上春樹の世界に近いのかもしれない。会場から出たところで、2人のフランス人が評価をめぐって激論しているのに出くわした。片方は絶賛で、もう一方は「何を言いたいのかわからない、作りものの世界だ」と酷評していた。

ロシアからコンペに出たのは、1966年生まれのアレクセイ・フェドロチェンコ監督の『静かな魂』Silent Souls。ある会社の社長は、自分の妻が亡くなると、従業員の一人を呼んで一緒に弔いの旅に出かける。太った妻の大きな体を車に積んで、海辺で荼毘に付すだけの話だが、映像はアレクサンドル・ソクロフを思わせるほど美しく、リアルとシュールが入り混じる。少年の頃の思い出。ちょっと狐につままれたような寓話のような内容だったが、そこにはロシア映画ならではのヨーロッパでもアジアでもない強い匂いがあった。

4本目に見たのはオリゾンティ部門のカトリーヌ・ブレイヤ監督のフランス映画『眠れる美女』La belle endormie。この監督はこれまで男性中心の発想を過激に皮肉るような映画を数本見たが、今回はそれを童話に当てはめた。10代の女性の裸をふんだんに見せたかと思うと、コルセットやストッキングの非人間性をこっそり批判する。わかりにくく、人を食ったような映画だったので、途中で出る人も多かった。

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