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2010年9月 3日 (金)

たぶん10回目のベネチア国際映画祭:その(1)

また、ベネチア映画祭に来てしまった。たぶん最初が1992年で、今年で10回目だと思う。ほかの映画祭には行かずにここに来るのは一応理由があったが、去年から大学の教師になると時期的に参加可能なほとんど唯一の海外の映画祭になった。それにしても心地よい。猛暑の東京から15時間近くを経て、ベネチア国際空港に着いて潮風を浴びた瞬間に、生き返ったような気持ちになる。

着いた翌日に4本も見た。日本では2本見ると、特につまらなかったりすると、ずいぶん時間の無駄使いをした気分になるが、映画祭だとなぜか平気だ。まるで集団ヒステリーのように、そこでは映画のことだけが話題になり、いい年をした中年が一日に平気で4本を見る。

昨日の映画で最大の話題は、コンペのジュリアン・シュナーベル監督の『ミラル』Miralだった。長年にわたるパレスチナ問題を、一人の女性教師の立場から描き、そこで育った娘たちの人生を追いかける。日本人にはわかりにくいパレスチナ自治地区をめぐる問題だが、少女の視点からだとよくわかる。この監督は『潜水服は蝶の夢を見る』でもそうだが、テーマ設定がうまい。音楽やスローモーションの使い方などを含めて私にはいささかあざとい映画に見えたが(最後はトム・ウェイツの歌)、相当評判がいいようだ。何か賞を取るだろうが、このテーマでは日本での公開は可能だろうか。

次の話題は、『シルビアのいる街で』が日本でヒットしているホセ・ルイス・ゲリン監督が、オリゾンティ部門に出した『ゲスト』Guest。2007年の9月からの一年間の監督の旅を白黒の映像に撮ったものだが、まるで良質の写真集をめくるような快さがある。日付の後にパリ、ニューヨーク、サンパウロ、マカオ、キューバ、香港などいろいろな国で撮られた映像が、どの場所かを明示せずに淡々と見せられるが、どのカットも入念に選ばれていて飽きない。登場するのはほとんどが無名の人々だが、人はカメラを前にするとこんなにも饒舌になるのかと感心してしまった。何が起こるわけでもない映画のせいか、観客のうち半分くらいが途中で出てしまった。監督がいたにもかかわらず。

もう一つは2つのカップルのスワッピングを扱ったコンペのフランス映画『ハッピー・フュー』Happy Few。アントニー・コルディエ監督の2作目で、見た日本人女性ライターたちの評価は最低だったが、私は手の込んだ脚本と的確な演出に比較的好感が持てた。問題はこれで何を言いたいかだ。

イタリア映画『黒い羊』Pecora neraは1972年生まれのアスカニオ・セレスティーニ監督によるコンペ作品。幼い頃から精神病院に育った男の話だが、「僕は……」というナレーションが多すぎる。ちょっとできの悪いナンニ・モレッティといったところか。監督は一人芝居などでイタリアでは有名らしいが。


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