ベネチア国際映画祭:その(6)まとめ
ベネチア国際映画祭に参加した人は、監督であれ配給会社の人であれ評論家であれ、「運営がひどい」「上映環境が最悪」「観客が携帯メールばかり見ている」「ホテルが取れない」「レストランが少ない」とかまず文句を言う。そのうえ映画ビジネスの場としてはカンヌ、ベルリンの次のポジションは完全にトロントに奪われた感じだ。それでもいまだに世界の著名監督の作品が集まってくるのは、なぜだろうか。
「世界最古」という伝統はあるだろう。ここをきっかけに黒澤明の『羅生門』が世界に広まったような、伝説の層は厚い。志の高い監督なら、誰だってそこに自分も加わりたいと思うだろう。
次に感じるのはセレクションの個性だ。ベネチアはこれまでカンヌに比べてより芸術性の高い作品を好んできた。そして黒澤もそうだったように、ホウ・シャオシェンの『非情城市』や北野武の『HANABI』などのような世界に出つつある監督に金獅子賞を与えることで、その個性を確立してきた。
最近は今年のカンヌがアピチャッポン・ウィーラセタクンにパルム・ドールを与えたように、映画祭の特徴はわかりにくくなってきた。現ディレクターのマルコ・ミュラーは、ジョン・ウーに名誉金獅子賞を与えたり、コンペでツイ・ハークや三池崇史の新作を入れる幅の広さで新たな伝統を作ろうとしているようだ。もちろんスコリモフスキーやヴィンセント・ギャロのようなアート系の新作をコンペに入れる目配りも忘れてはいない。
そのうえ、新作以外のレトロスペクティヴ部門が、カンヌやベルリンに比べて充実している。毎回映画史からテーマを選んで復元したフィルムを中心に数十本を上映する。今年は「イタリアのB級」でセルジオ・コルブッチなどを上映していた。
そして大きいのが、ベネチアという都市の魅力だ。一度でも行った人は、飛行機であの島に着く瞬間を思い出すだけでわくわくする。映画祭はリド島で、入り組んだベネチアの古い街並みとは異なるのだけれど、そこには20世紀初頭の避暑地の、何とも言えない古めかしい魅力がある。
残念ながら東京国際映画祭には、この3つがすべて欠けている。最近はセレクションは少しは良くなったが。
映画は美術に比べて世界で日本が何倍も大きな幅を利かせているが、国際的なイベントとしては、横浜トリエンナーレの方が東京国際映画祭よりはるかに評価が高い。横浜という都市が、東京に比べて明らかにこうしたイベントに向いていることも理由の一つだと思う。
ところでヴィスコンティが『ベニスに死す』で舞台に使った「ホテル・デ・バン」は改装中だった。10年ほど前まではあまり高くなかったので泊ったこともあるが、あの「古めかしい魅力」はなくなってしまうのだろうか。
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