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2010年9月20日 (月)

赤城神社改築と「新しい公共」

1年以上かかった近所の赤城神社の改築工事がようやく終わって、数日前にお披露目となった。従来の神社をすべて壊して、新しくそこに建ったのはコンクリートとガラスと生木を使った現代建築だった。デザインを手がけたのは建築家の隈研吾氏。昨日実際に見に行って、その変わり果てたさまに私は深く失望した。

まず何と言ってもひどいのは、敷地内に6階建てのマンションを建てたことだ。たぶん最近のフランス大使館などがやっている「等価交換」で、お金を一切かけずに全面改装する方法だ。境内の右側に巨大な壁のように立っており、参拝客を見下ろす格好だ。その代わりに多くの大木が切り倒され、狛犬もいなくなってしまった。

かつての赤城神社は、都心には珍しく広い境内を持ち、心の休まるスポットだった。特に夜、両脇に小さな灯りがぽっとついた参道は、何とも神話的な空間だった。それがどこにでもある、安っぽいデザイン建築になってしまった。あれだけガラスを使った神社は今後のメンテにも困るだろうが、それはとりあえず置いておく。
問題は、宗教法人で免税措置を受けている神社が、なぜマンションを売ることができるのかということだ。マンションの販売価格は7000万円前後が中心だったから、78戸というからざっと50億円くらいは入ったことになる。建築費はその半分もかからないだろう。

あの神話的な空間を放棄して、三井不動産の言いなりにお金儲けをしてしまった赤城神社には、徹底的に「公共」の意識が欠けているとしかいいようがない。その建築を認可した東京都もおかしいし、地元に住みながらそのような暴挙に加担した建築家の隈研吾氏もどうかしている。最近、明治の建物などにやっているように、かつての古い建物を生かしながらの穏やかな改装だったらどんなに良かったかと思う。建築家ならそれを提案すべきだろう。

最近「公共」という言葉が流行っているようで、今度の組閣名簿には「新しい公共」担当大臣までいる。私は美しかった神社のなれの果ての姿を見ながら、「新しい公共」の必要性を考えた。
今後この神社にお参りすることはあるまい。


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