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2010年9月19日 (日)

トルナトーレの不思議な到達点

ジュゼッペ・トルナトーレと言えば、『ニューシネマパラダイス』(89)で若くして大ヒットを収め、『みんな元気』(90)『海の上のピアニスト』(99)『マレーナ』(00)と、イタリアには珍しく観客を集められる巨匠として知られていた監督だ。しかし新世紀になってからはその名前は聞かなくなり、もう彼の時代は終わったのかと思っていた。

久しぶりに作った『題名なき子守唄』(06)は、北イタリアの移民を扱った陰惨でリアルなテーマで、その地味さに驚いたものだ。力作には違いないが、彼はいったい何を目指しているかと誰もが思った。
そして昨年のベネチア国際映画祭のオープニングを飾った大作『シチリア!シチリア!』(原題は「バーリア」で「バゲリーア」のこと)を見た。最初の少年が走るシーンから、一見わかりやすそうで、実は寓話的なエピソードをつなげた不思議な力作だった。

主人公のペッピーノの物語は、なぜかつながらない。少年時代のいくつかのエピソードはそれぞれがバラバラだし、戦後青年になってからの結婚も政治家への道のりもどれもなぜ成功したのかが示されずに中途半端で、ドラマとしての盛り上がりを欠いている。そこにあるのは、相変わらずの砂ぼこりにまみれたバーリアの街であり、そこを歩く相変わらずの貧しい人びとである。こんな壮大なオープンセットは、最近のイタリア映画で見たことがない。

これまで自分が作ってきた映画を反芻するような既視感がある。あるいは映画に出てくるさまざまなイタリア映画の題名を聞いていると、監督はイタリア映画史すべてを蘇らせるつもりだったのかと思わせるほどだ。ヒット作を何本も手がけた監督による、一種のメタ映画であることは間違いない。壮大に奏でる音楽も含めて、マカロニ・ウェスタンのような感じがある。

映画の最後は、最初のシーンにつながってゆく。まるでこれまでの物語が一瞬の夢だったかのように。夢だから断片ばかりだったのかと納得してしまう。そしてさらに現代のバーリアの街が映る。そこを歩く映画の中の貧しい少年。その幻視のような描写は、『1900年』や『ラスト・エンペラー』を作った頃のベルトルッチのようだ。もちろんベルトルッチのメタ映画は、もっと丁寧に物語を語っていたが。
まだ映画を信じられたベルトルッチの時代ではなく、映像の氾濫する20世紀末から活躍したトルナトーレの、不思議な到達点を示す映画であることは間違いない。今後彼は映画を撮れるのだろうか。
12月公開。

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