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2010年9月23日 (木)

時差ぼけの『放浪記』

久しぶりの外国旅行から帰って読んでいたのは、林芙美子の『放浪記』だった。最近読んでいる戦争関係の本の続きのつもりだったが、時差ぼけの一週間には、妙にぴったりの不思議な高揚感があった。実を言うと林芙美子の本を読み通したのは初めてだ。林の本を原作にした成瀬己喜男の映画はほぼ見ているが。

『放浪記』は林が大正11(1920)年から15年まで書いていた日記から抜き出して発表したものである。三部構成で、解説を読むと最初に抜き出したものが第一部で、それが売れたので少しヤバイところも含んだ第二部が売り出され、さらに戦後になって男性の実名やアナーキーな思想などが出てくる第三部が発表されたという。確かに詩的な文章から、後半に進むに従ってヤバいリアルな内容が増える。

出だしからしてカッコいい。
「私は宿命的に放浪者である。私は故郷を持たない」
それから始まるのは、毎日食べるものがなくていつも女中などの仕事を探すが長続きせず、文章を書いては出版社を回って断られる。そしてときおり田舎の老いた母を訪ねる。時々出てくる「男」はろくな奴はいないが、それでも媚を売って金をもらおうとする。
そんな毎日なのだが、全く能天気でむしろ貧乏を楽しんでいるかのような筆致だ。

「信ずる者よ来れか……。あんな陰気な歌なんて真平だ。まだ気のきいた春の歌があるなり。いっそ、銀座あたりの美しい街で、こなごなに血ヘドを吐いて、華族さんあたりの自動車にでもしかれてしまいたいと思う」
「ああ情熱の毛虫、私は一人の男の血をいたちのように吸いつくしてみたいような気がする。男の肌は寒くなると布団のように恋しくなるものだ」
「老いぼれたような私の心に反比例して、この肉体の若さよ。赤くなった腕をさしのべて風呂いっぱいに体を伸ばすと、ふいと女らしくなって来る。結婚をしようと思う」
「私は朝まで眠ってはならないと思った。男のコウフン状態なんて、政治家と同じようなものだ。駄目だと思ったらケロリとしている。明日になったら、又どっかへ行く道を見つけなくてはいけないと思う」
「一文にもならない。活字にならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がその為にはじける。毎日火事をかかえて歩いているようなものだ」
「あの編集者メ、電車にはねられて死なないものかと思う。雑誌も送って来やしない。本屋で立ち読みをすると、私の童話が、いつの間にか彼の名前で、堂々と巻頭を飾っている」

おもしろすぎて、引用をしていたらキリがない。関心を持った方は新潮文庫を。

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