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2010年10月12日 (火)

「新聞の映画評」評:最近の特オチ映画

新聞の世界では、事件が取材漏れで紙面に載っていないことを「落とす」と言い、重要な事件が自分の新聞だけ載っていないと「特オチ」となる。ならばこれをはずしたらおしまいよ、というたぐいの映画を載せないことも「特オチ」と言えないだろうか。最近で言うと『ヘヴンズストーリー』、『ブロンド少女は過激に美しく』。それに加えて『冬の小鳥』がそうした映画に当たると(勝手に)思う。調べてみたらその3つをきちんと押さえたのは、(珍しく)朝日新聞だけだ。

まず『ヘヴンズ』を落としたのは、日経と毎日。正確に言うと小さな扱いだ。日経では村山匡一郎氏が4つ星を付けたのにもかかわらず、3つ星の『大奥』を大きく扱っている。
『ヘヴンズ』評で良かったのは、朝日の秦早穂子氏と読売の恩田泰子記者。女性特有の(という言い方はいけないが)迫力のこもった文章だ。長いキャリアで育んだ達筆の秦氏はともかく、恩田記者も「見始めてすぐに物語に飲み込まれてしまうから。好きでも嫌いでも、望もうがが望むまいが。人生がそうであるのと同じように」となかなかうまい。

『ブロンド』は、毎日と読売が小さな記事を載せた。毎日は代わりに『死刑台のエレベーター』を大きく取り上げているが、よく読むと批判が中心だ。毎日は1本しか大きな枠がないのに、どうしてこの作品を選んだのか理解に苦しむ。読売は3本大きな枠があるが、『ブロンド』を落として『乱暴と待機』が入っているのはどうか。読売と毎日は書くのは記者が中心なので、まさか書きにくい巨匠オリヴェイラに怯んだのではあるまい。
『ブロンド』評は何といっても日経の宇田川幸洋氏の文章が出色だ。5つ星で「あざやかなかたりくちで短編小説の傑作を読んだような感銘にひたれる。「ロリータ」のスー・リオンを思わせるカテリナ・ヴァレンシュタインの、何も語らぬ少女も魅惑十分」に全く同感。朝日の北小路隆志氏はずいぶん力んだ文章だがわかりにくく、おもしろさがいまひとつ伝わってこない。

『冬の小鳥』は、日経のみがない。特オチか、あるいは来週載るか。
朝日は沢木耕太郎氏の別枠「銀の街から」に長文を載せた。「家族における最も悲痛な出来事とは、幼い命が失われることだろう」に始まる文章は、まるで短編小説のよう。毎日の鈴木隆記者と読売の恩田記者もがんばっている。毎日は1週前の掲載だが、「瞳の映画と言えるだろう」に始まり、ブレッソンに比する展開はなかなか。読売・恩田記者の「みけんにしわを寄せて周囲に抵抗しながら、無表情で宙を見つめながら、そして共に暮らす女児たちの運命を目撃しながら、自分が生きる世界の全体像をつかんでゆく」という表現には脱帽だ。恩田記者はその選ぶ映画の確かさといい、気にいった映画を思いのこもった文章にまとめる力といい、現在の日刊紙映画記者でナンバーワンだろう。

今後も映画の「特オチ」を見張っていきたい。

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コメント

恩田女史の映画評は私はうがった見方と表現で嫌い。一見深く掘り下げているようで、言っている通りのように思うけど、本当かな?と後で思ってしまう。本当はもっと単純なことなのに随分無理してうがった見方をする人だと思う。沢木耕太郎のほうが透明感があって余程優れている。やはり本物の作家の文章だと思う。
「冬の小鳥」は自分自身好きな映画だけど、おかしな点も多いと思う。諸手を上げて礼賛はしない主義。まず父親が娘を捨てる心理が全く描けていない。わざとそうしているのは分かるけど、、、。また主人公が自分で掘った穴に身を埋めるのも不自然。あんなことは普通しないでしょう。勿論作品は元々虚構だからいいのだけど、、、。
そういう感想があってもよいと思うが、皆礼賛ばかりはおかしいのでは?

投稿: 佐々木和男 | 2010年10月28日 (木) 11時43分

恩田さんの評論はおかしい。
例えば恩田女史は「冬の小鳥」で「少女でもその力を持ち得ることを描き出す。」と語る。でも実際は、ジニに力があるわけではない。そこに追いやられただけなのです。
また曰く、「彼女のまっすぐな瞳の強さは、この映画の強さ」
ところが、実際はジニは、ただ不安な中でとまどっているだけ。強くなど決してないのだ。仕方なしにそうなっただけ。何故それが分からないのだろう。むしろ、強いどころか、本人は困惑し、戸惑っているだけ。表面しか見えない他人から見ればそう見えるかもしれないけれど、、、。
また言う「ヒロインの子供らしい頼りなさと、求道者のようなひたむきさ」と。
確かに子供らしいは正解だが、ただ不安なだけで、出来る中で生きているだけ。まだ親に甘えたい時期にひたむきにならざるをえないところまで追い込まれた悲惨さというのが本当のところ。
また曰く「か細い体と強いまなざしで見事に体現した」と。まなざしが強いのではなく、むしろ不安で、ぎこちなく、戸惑うまなざしというのが本当のところ。全然子供の心が分かっていないのに驚き唖然とします。内容は間違っているし、故に真の名文でもありません。

投稿: 佐々木和男 | 2010年10月28日 (木) 16時27分

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