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2010年10月10日 (日)

写し絵と弁士と

三宅坂の国立劇場で、写し絵と無声映画の弁士付き上映を見た。小劇場で開催された「東京・江戸の賑わい その2 芝居と語り芸‐庶民の娯楽‐」というずいぶん長いタイトルのイベントで、4つの短めの公演からなっていた。最初の2つは八王子の人形芝居と、秋川の素人歌舞伎で、文楽や歌舞伎のように洗練されていない素朴な感じが好感が持てた。しかし刺激的だったのは後半の写し絵と弁士で、映画の原初的なスタイルが味わえておもしろかった。

「写し絵」は、19世紀初めに東京で生まれた幻灯の一種。スクリーンの後ろで数名がそれぞれ幻灯を持ち、5枚程度のスライド(種板という)を動かして各自が投射するシステムで、すごいのは幻灯を持つ人がそれぞれに移動することだ。当時の幻灯としては世界で最も洗練されていたようだ。
観客席から見ていると、スライドに描かれた絵は素朴だが極彩色で、その絵が突然左右に動きだしたりしてかなりの迫力がある。5、6台の幻灯が動いて群衆を見せたり、花火を見せたりする。数枚のスライドの単純な絵の動きと、プロジェクタ‐自体が自由にスクリーンを動き回る組み合わせが不思議な幻想的な雰囲気を生む。
重要なのは語りで、今回の題目の「葛の葉」には新内節がついて三味線が鳴り響き、「だるま夜噺」には落語家の語りがついた。「写し絵」を復活上演しているのはみんわ座という団体で、最近は海外公演もしている。彼らの公演は前にも見たことがあったが、国立劇場のせいかずいぶん幻想的で新しく感じた。

もう一つは澤登翠氏による弁士で、こちらは見たことのある人も多いだろう。出し物は「チャップリンの冒険」と「番場の忠太郎 瞼の母」で、澤登氏の語りが観客にエモーションを巻き起こす。男性のアクションが中心のチャップリンより、母と娘の声が重要な「瞼の母」の方が女性の語りにあっているように思えた。
しかし2本ともプリントの状態が悪すぎる。チャップリンならデジタル復元されたDVDがたくさんあるのに。そのせいか、鮮明なカラーの素朴な映像が奇想天外に動き出す「写し絵」の方が、100年以上後の無声映画よりずっと新しく思えた。ちょっと3Dのような迫力がある。

日本には落語や浪曲など語りの芸能がある。能や歌舞伎でも謡や義太夫節が重要だ。何かをスクリーンに投射することを見世物として始めた時、それに語りをつけることは当然のことだったのだろう。写し絵や弁士のようなかつての形態の維持も大事だが、現在のデジタル技術を使いながら生の語りに組み合わせたら、おもしろいものが出てきそうな気がする。

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