バスキアの優しい表情
昔、ジャン=ミシェル・バスキアという画家がいた。昔と言っても80年代のことで、私が学生の頃に突如現れたニューヨークの黒人アーチストとして有名だった。そして1988年に突然死んでしまう。彼のことはジュリアン・シュナーベルが96年に監督した『バスキア』を見に行ったくらいで、全く忘れていた。しかし今度ドキュメンタリー『バスキアのすべて』を見て、彼のことを思い出し、その痛ましい生き方と残された絵のすばらしさに心を動かされた。
前にこのブログでも書いたように、おもしろい人物を見せるドキュメンタリーは、例外なく楽しい。この映画は友人だったタムラ・デイビスが当時撮影した20分ほどの映像に、当時のアーカイブ映像や知人への最近のインタビューをを加えたものだ。
アーカイブ映像は、画廊のオープニングなどバスキアのセレブな場面が多いが、友人へのインタビューはくつろいだ感じで、優しい表情を見せる。そして自分の生い立ちや、それまでのことを淡々と語る。彼が裕福な家庭の出身だったことは全く知らなかった。自分が有名になったことを父親に見せて安心させたかったという。
友人たちが口をそろえて言うのは、とにかく教養があって、何でも知っていたことだ。これにも驚いた。
ウォーホールと仲良くなり、友人たちから離れてゆく頃の映像は痛々しい。そしてドラッグに溺れ、顔色がどんどんわるくなり、顔にぶつぶつが目立つようになる。そして28歳で亡くなる。
恋人だったスザンヌ・マロックがインタビューで語っていたが、20歳から22歳の短い間に、ストリート暮らしから突然セレブになったのだから、おかしくなるのは当然だ、と。
インタビューでちょっと不愉快だったのは、ジュリアン・シュナーベルの偉そうな態度だ。もちろん当時は、彼の方が有名だった。しかし今見ると、割った皿を絵に埋め込んだ彼の絵よりも、バスキアの方が何倍も奥深い。80年代の新表現主義の流行が終わると、シュナーベルは映画監督として売り出す。彼が撮った『バスキア』は、カリカチュアのようで不快だったし、その後の作品はベネチアで見た最新作『ミラル』も含めて、おもしろいがどこかあざとい。
監督のタムラ・デイビスは日系かと思ったが、Tamra Davisで女性だった。親しかったバスキアを撮った映像で商売をしたくなくて、20年以上も引出しにしまいこんでいたが、最近彼の展覧会を準備している友人に見せると非常に貴重だと言われて、発表することにしたらしい。
この映画の魅力は、友人だからこそ撮れたバスキアの素顔だ。12月18日公開。
この映画を見ていて、89年にニューヨークの画廊を回ったことを思い出した。メアリー・ブーンやレオ・カステリなどの伝説的な画廊に恐る恐る入ったが、この映画を見ていて何とも懐かしかった。もう20年以上前のことだ。
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