小説が書けない小説
『原稿零枚日記』という人を喰ったような題名の小説を読んだ。小川洋子の新作だが、どこかの広告で題名を見た時から気になってしょうがない、そんな題名だ。それからあちこちで書評やインタビューが出るに及んで我慢ができず、本屋に駆け込んだ。そして一気に読み終えた。
小川洋子といえば、有名な『博士の愛した数式』がそうであるように、天性の物語作家だ。どこにでもある日常から小さな話が始まり、あり得ない地平に飛び立つ。そんな作家が書く私小説風の日記とはどういうものか。
1年間にわたって、時々書かれた26回分の日記という体裁で、原稿が書けない女性作家の日常が描かれる。取材と称して宇宙線研究所に行ったり、小学校に運動会を見に行ったり、子泣き相撲を見に行ったり。それぞれの終わりに(原稿零枚)と記されている。時おり(原稿四枚)などと書かれていると、思わずほっとしてしまう。
そして原稿を書けない日常の描写は、思わぬ不可思議な世界へとつながる。宇宙線研究所に行った時に入る苔料理専門店の奇妙な料理。「あらすじ教室」というありえない教室で教える主人公。文学賞のパーティーに出かけて「パーティ荒らし」を見破り、なぜか助けてあげる主人公。
盆栽フェスティバルに行き、一緒に行った二人と別れてしまってつぶやく。「私の人生はすぐそばにある人を失うことの連続ではなかったか。……“何の役にも立たなかった”この一行を私は日記の中で何度繰り返したことだろう」。この絶望的な徒労感が全体を貫く。
小説を書けないという日記が小説になってしまうなんて、小川洋子くらいではないか。
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