受難劇と映画
最近朝日新聞で、ドイツの小さな村で受難劇を見た記事を立て続けに読んだ。金曜夕刊で佐伯順子氏が、土曜朝刊beで日野原重明氏が、同じドイツのバイルエン州オーバーアマガウ村で行われた「キリスト受難劇」について書いた文章だ。それを読んで、少し前にフィルムセンターの「ポルトガル映画祭2010」で見たマノエル・デ・オリヴェイラの『春の劇』や今年のベネチア国際映画祭で見たイタリア映画『受難』を思いだした。
オリヴェイラの映画はポルトガルの北部クラリャという村で撮影されたものだが、こうしたイベントが今もヨーロッパで続いているとは、2つの記事を見るまで知らなかった。今回のドイツの村は、10年に一度開催するものらしく、日野原氏によれば、そのために村人は候補者を10年前に選び、神や髭を伸ばし始め、練習を重ねるという。子供から老人まで2150人が出演し、オーケストラと合唱がそれぞれ40人。
一方佐伯氏によれば、5月から10月まで102回上演され、野外の舞台席は4720人収容で世界中から来る観光客で満員という。上演時間は休憩をはさんで前後3時間づつ。2つの記事をあわせてようやく全容がわかった。佐伯氏は「生身の人間によって演じられると、いかに残酷であるかよくわかる」と書き、日本における上品なキリスト教のイメージと対比する。日野原氏は「私の生涯の最も輝ける瞬間となりました」と書く。
オリヴェイラの映画は、まだサラザール独裁政権下の1963年に撮られたものだ。こちらは6時間どころか、昼と夜が何回か変わる映画で、演じる人々を遠くから、あるいはアップで撮る。まるで能舞台を見ているようで、ドキュメンタリーのようでありながら不思議な儀式性や演劇性を持つところは、封切られたばかりの『ブロンド少女は過激に美しく』まで引き継がれている。ある意味でオリヴェイラの原点といえる映画だろう。これは今回が日本初公開だが、今後全国を巡回する「ポルトガル映画祭」で見ることができるし、1年後くらいに東京でまた上映されると思う。
佐伯氏の書く「残酷」さは、この映画で確かに味わえる。この映画を見ていて、パゾリーニの『奇跡の丘』を思い出した。調べて見ると1964年の作で、わずか1年後だ。
ベネチアで見た『受難』La passioneは、カルロ・マッツァクラーティ監督の新作だ。売れない監督がトスカーナ地方の村の受難劇の演出を頼まれて、てんやわんやのうちにできあがるという喜劇だ。佐伯氏は、かつての受難劇は喜劇的要素が多く、教会から涜神行為とみなされたと書いているが、これなどはそちらの例だろう。映画自体は、いつも悲惨な境遇の男の悲喜劇を描くマッツァクラーティにしては、喜劇タッチが強すぎるように思えた。イタリア人の観客は大笑いしていたが、外国人にはわからないキリスト教的な笑いがあったに違いない。
どうでもいいが、日野原氏は99歳で、オリヴェイラ監督は101歳とかなり近い。
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