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2010年10月22日 (金)

『猿の惑星』を今見ると

『2001年宇宙の旅』に続いて、同じ1968年に作られた『猿の惑星』をDVDを見て、実に驚いた。当時は、猿の惑星が実は地球だったというラストに衝撃を受けたものだが、今見るとそこに至るまでも相当におもしろい。特に今日のジェンダーや人種差別の観点から見たら、とんでもない目茶苦茶な映画だ。

まず宇宙船に乗っているのは、白人の男性2名と黒人男性1名に白人女性1名だ。その比率が既に問題だが、着陸した時、既に女性は死んでいる。従って謎の惑星の探索は男3人で行われる。さらに猿族の襲撃にあって、黒人男性はあっけなく銃に撃たれて死んでしまう。生き残ったのは白人男性2人のみ。こんなことは現在ではとても許されないだろう。

猿族も、支配層のオランウータンは全員肌が白く、ブロンドだ。科学者のチンパンジーは、肌は白いが髪は黒い。肌も髪も黒いゴリラは兵士だ。これではまるで白人、ユダヤ人、黒人ではないか。こんなにはっきりと3種類に分かれていたなんて、昔何度もテレビで見た時は全く考えなかった。ちなみに猿は日本人のことだという説があるようだが、それはあまり感じない。

猿が極めて残酷で、人間を皆殺しにした後で死体の前でみんなで写真を撮るシーンなどは、たぶんベトナム戦争から来たのだろう。60年代後半、アメリカはベトナム戦争が泥沼に陥り、ソ連との宇宙開発戦争がクライマックスに達し(月面着陸は翌年)、核の脅威が迫っていた。黒人の公民権運動やヒッピーもあった。それらが一緒になって、猿と人間を逆転させる映画ができたのだろう。

惑星はまるで、西部劇のように岩ばかりだ。白人の主人公が、惑星に住む黒髪の女性と仲良くなるのも、まるで50年代の西部劇の主人公が酋長の娘と仲良くなるのと同じパターンだ。終わりのシーンでは、その男女が海辺を馬に乗って逃げてゆく。終りに近づいた西部劇への挽歌か。
主人公をチャールトン・ヘストンが演じているのも意味深い。彼こそは『十戒』(56)『エル・シド』(61)『偉大な生涯の物語』(65)などの史劇で、長年一番強い男を演じてきたのだから。史劇も流行らなくなったのでSFに出ました、という感じがする。この映画の服装も半裸でギリシャ風だし。

ちなみにこの映画は当時の読売新聞では「卓抜したアイデア」と絶賛されていたが、朝日には全く載っていない。これほどの問題作を落とすとは、まさに歴史的な「特オチ」である。
広告では既に著名人のコメントを並べるやり方がなされていて、小森和子さんの横に最近亡くなられた今野雄二さんも「単なるSFの領域をこえた魅力」とコメントを寄せている。調べてみたらわずか24歳だった。

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