日本人は「歌う国民」
私はカラオケが嫌いだ。テレビを見ないから歌を知らないし、それ以前に音程がヒドすぎる。しかし実を言うと、小学生の頃は、歌を歌うのが好きだった。本屋で渡辺裕氏の『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』という題の新書を見て、そんなことを考えながら、思わず買ってしまった。
この本は、明治以降の日本人が「歌う」ことを社会的な行為として、どのように定着させてきたかをたどったものだ。最近は「百貨店」とか「博物館」、あるいは「オリンピック」、「帝国劇場」、「宝塚」、あるいは「ラジオ体操」まで、近代日本の文化的制度をめぐる新しい研究がどんどん出ている。この本もその一つと言えるだろう。いわゆるカルチュラル・スタディーズの、日本近代への適用だ。
この本によると、後の芸大になる東京音楽学校は、音楽の芸術面ではなく、「健康的側面」や「道徳的側面」から音楽教育を重要視していたようだ。つまり「国民づくり」のために唱歌を歌わせることが、明治政府にとっては重要だったのだ。
そして文部省唱歌が作られ、さまざまな唱歌が考案される。「鉄道唱歌」などはまだいいが、「郵便貯金唱歌」や「栄養の歌」など、何でも歌にしている。さらにそれにあわせて踊ることが提案され、「民謡体操」や「ラジオ体操」にたどりつく。もちろんその頂点に「国歌」がある。
当然卒業式の歌をめぐる話もおもしろい。20年ほど前から「仰げば尊とし」は少なくなって、「旅立ちの日」を歌うらしいが、最近になって「仰げば尊し」も復活しているらしい。
卒業の歌はおおむね同じだが、校歌は学校によって違う。有名な作曲家の山田耕筰は、日本各地の校歌を作曲して「校歌王」と呼ばれたそうだ。これは今もほとんどの学校にある。
それに県歌もある。これは校歌と違ってあまり歌われなかったという。
会社でも「社歌」のあるところは今でも多い。戦後は「うたごえ喫茶」が労働者の歌として一世を風靡した。もちろんそれはカラオケの隆盛につながる。
日本人は、明治以降ずっと歌ってきた国民のようだ。それは「追い付け追いこせ」の伴奏曲のような前向きのものだった。しかし、1970年代以降、「皆で一緒に歌うことによって、力をあわせて『健全』な『国民文化』を育て上げてゆこうとする、そういう一種の使命感というか、国民としての自覚」がなくなってきた、とこの本では結論づける。
とりわけ今のように、少子高齢化で今後の経済成長があまり期待できない世の中になると、みんなで一緒に歌うことは流行らないだろう。
この本を読んだら、妙にみんなと一緒に歌いたい衝動に駆られた。「仰げば尊し」とか「うさぎ追いし」とか。しかし誰と歌うのか。
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