« 国立美術館のコレクションを楽しむ | トップページ | バスキアの優しい表情 »

2010年10月14日 (木)

新たなコミュニズムは可能か

最近、格差社会や環境破壊といった現代の問題は、もはや資本主義では解決できないのではないか、という気がしてきている。そのせいか共産主義が気になって急にマルクスを読んだりしているが、今度はスラヴォイ・ジジェクの『ポストモダンの共産主義』という新書を見つけて読んだ。「はじめは悲劇として、二度目は笑劇として」というマルクスの言葉から取られた副題もいい。

新書とはいえ、ジジェクのような思想家の本は読みやすくない。長年、酒浸りの会社員生活を送ったので、あまり難しいものは読めなくなってしまったが、それでもあちこちおもしろいところがあった。
1989年にベルリンの壁が壊れ、社会主義との対立がなくなって、フランシス・フクヤマの本の題名にあるような「歴史の終わり」が訪れたかに見えた。つまり資本主義をベースにして社会主義的要素を加味したリベラル民主主義の勝利だ。ところが9.11以降、あちこちに壁が生まれた。格差社会もその一つだ。そして2008年のリーマン・ショック以降、国家は壁を守る方向に動いている。ここに必要なのは社会主義でなくでなく、共産主義ではないか。ジジェクの描く世界観はこんなところだと思う。

グローバル資本主義は、公共的な社会文化資本をも侵食する。ジジェクは、環境破壊、知的所有権による独占、遺伝子工学などの科学における倫理喪失、新しい壁とスラムの誕生を4つの侵食の例として挙げる。コモンズ=公共の「囲い込み」によって人間は自分の実体や財産から切り離されるのだ。まるで「世界の終わり」である。
マイケル・ハートが引用され、「資本主義が私有財産を、社会主義が国有財産を支持するとすれば、コミュニズムはコモンズにおける所有の超克を表している」。
ジジェクは中国の独裁制資本主義の方がリベラル資本主義より経済効率がよいと証明されたらどうする、と問う。これは、プーチンの資本主義やベルルスコーニの資本主義に見るように、西側にも広がっている。ジジェクは「現代日本もこのモデルに近い」と言う。それはちょっと違うと思うが。

「現代の歴史的変化の地平に見えるものは、個人的な自由主義と享楽主義が複雑に張り巡らされた国家規制のメカニズムと共存する(そして支え合う)社会である」。
終わり間際に突然柄谷行人が引用されるのは驚くが、この本は「もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!」で終わる。その新たなコミュニズムが具体的にどのようなものかは、もちろん書いていない。

コミュニズムcommunismがコミューンcommune、すなわち共同体から来ているとしたら、そこにきっかけがあるような気がする。

|

« 国立美術館のコレクションを楽しむ | トップページ | バスキアの優しい表情 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/49738421

この記事へのトラックバック一覧です: 新たなコミュニズムは可能か:

« 国立美術館のコレクションを楽しむ | トップページ | バスキアの優しい表情 »