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2010年10月29日 (金)

リービ英雄氏にとっての日本語

最近では、外国人が日本語で小説を発表することも珍しくなくなってきた。新人賞に中国人やイラン人、台湾人などが時々出てくる。しかしいわゆる「白人」では、やはりリービ英雄氏が最初だ。英語というメジャーな言葉を母国語に持ちながら、リービは日本語で小説を書く。彼の最新エッセー『我的日本語』は、日本語の新たな可能性を探ろうとする真摯な試みだ。

特におもしろい部分を紹介したい。
一つは日本の書き言葉である、かな交じり文のことだ。我々は日本語を書くたびに漢字かひらがなかカタカナを選ぶ。彼はその使い分けが日本語の豊かさであり、その選択のたびに日本語の文字の歴史を意識するという。

彼は60年代終わりに17歳で新宿に住み始め、80年代はじめから韓国に通い始める。そして90年代からは中国に通う。それぞれで失われつつある最後の前近代を見てきたという。

彼は日本の文学を英語に翻訳する過程で、日本語を書きたくなったという。中上健次が「翻訳もいいけど、日本語で書け」と言ってくれたというくだりは感動的だ。

この本は、水村美苗の『日本語が滅びるとき』に対する静かな反論ではないだろうか。「島国ではない大陸、しかもヨーロッパではなく、アメリカか中国を書けるかどうかでむしろ日本語の力が試されると、ぼくは自分の体験を振り返りつつ、思うことがある」。
「その世界の中味は、自分が生きてきた時代の日本だけではない。そこには現代も入れば万葉集も入る。そしてある時点で、島国の言葉によって書けば「アメリカ」も「中国」も、新たな形と色彩を帯びることも分かった」。

そういえばリービ氏が歩いているのを、何度か見かけたことがある。私の近所に住んでおられるようだ。外見はいわゆる「青い目の白人さん」である。とてもこのような文章を書く人には見えない。

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