「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか
実を言うと、『踊る大捜査線』を全く見たことがない。テレビシリーズも映画版も。テレビで放映していた頃や映画版第一作が封切られた1998年頃はとにかく仕事が忙しく、映画は本当に見たいものを月に1、2本見る生活を送っていた。そんなわけでこの映画の持つ意味などは考えたこともなかったが、『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』という題名の新書を読んで、それなりに考えるところがあった。
この本は、映画に係わるいろいろな立場の人が、この映画の成功を分析したものだ。一番驚いたのは映画評論家の佐藤忠男氏が「伝統映画へのリスペクト、そして革新」という題でこの映画を絶賛していることだ。
キネマ旬報の掛尾良夫氏は、この映画の功罪について、「功」はおもしろいものに観客がついてくるということを教えて日本映画に自信を与えたこと、「罪」はシネコンを占有して小さな映画を追い出したことだという。
電通の樋口尚文氏は、当たった理由をテレビの延長線上の「スナック菓子」的な映画を作ったことだとし、精神科医の名越康文氏は、この映画を「空気を読む人ばかりの世界」と表現する。
脚本家の荒井晴彦氏は最も厳しく、「映画とテレビの間に確実にあった違いを取っ払ってしまった、映画を消滅させてテレビにしてしまった」。
妙に心に残ったのは日経新聞の白木緑記者の文章。この作品は映画の観客は広げたが、結果的に「映画の観客を育てなかった」。あるいは映画の興行収入はいつも2000億円を超えず、ビールの3兆円に比べてはるかに小さいことを挙げて、全体のパイを増やす必要があることを力説する。日経新聞では数年前にヒットする映画と自分たちや評論家が評価する映画が大きく異なりだしたため、長い時間をかけて議論したという。結果、ヒット作品でも自分たちが良いと思わない作品は扱わないと決めたと言っている。その決意は、他紙と比べると紙面に表れていると思う。
ちなみに私はこの映画が日本の映画界を変えたとは思わない。この10年ほどは日本人が海外に関心を失って内向きになり、テレビ局が広告収入が減ってほかの収入を探す必要が生まれ、その頃ちょうどシネコンがどんどん増えていった時期だった。そんな背景の中で、時代の雰囲気を読み取る才能に長けたプロデューサーが作った象徴的な作品と言うべきだろう。この作品が出なくても、テレビ局の映画が日本映画を支配する流れはできたと思う。
要は資本主義と日本人の劣化の問題だ。
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