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2010年11月25日 (木)

広告のあやうさ

なぜか広告が好きだ。印刷物や映像で人をその気にさせてしまう、詐欺師的なところがいいのかもしれない。しかし詐欺師は方向が間違うと、とんでもない大衆操作をやってしまう。馬場マコト氏の新刊『戦争と広告』を読みながら、広告のあやうさについて考えた。

この本は戦前から戦後に渡って資生堂のロゴなどのデザインを率いた山名文夫の活躍を追ったものだ。とりわけ戦前の森永製菓のデザインで活躍した新井静一郎などと結成した「報道技術研究会」を中心に、戦時中のデザイナー、写真家、建築家などと共同で作った戦時中の広告について語られている。

「召しませ 資生堂の香水」というキャッチの流麗な広告を作っていた山名が、数年後に「十二月八日 どんな艱難にも耐えようと固く誓った日だ」とか「お願いです。隊長殿、あの旗を射たせてくださいッ!」という文字が躍る強烈な広告を作る。
驚くべきは「報道技術研究会」は、情報局などに頼まれて作った団体ではなく、物資が少なくなって広告の仕事がなくなったデザイナーたちが、自ら集まって手弁当で始めた会だったということだ。何とか世の中に影響を及ぼす仕事をしたいと考えて、意識的に戦争の片棒を担ぐ広告屋たちの嬉々した姿は印象に残る。

彼らの仲間には、建築家の前川國男や丹下健三、デザイナーの亀倉雄策、写真家の名取洋之助や渡辺義雄、後の「暮らしの手帖」を発行する花森安治などもいた。
戦争が終わると再び資生堂に入った山名文夫や、電通に入って常務にまでなった新井静一郎などをはじめとして、ほとんどのメンバーがデザイン、広告、写真、建築などで活躍し、戦後の商業デザインの中核となる。その変わり身の早さ。デザインや広告は小説家や画家と違って個人名が出ないため、藤田嗣治のように戦時中の活動を非難されることもなかった。

後の時代から見ると戦争は狂気の沙汰に見えるが、多くの人は何の罪の意識も持たずに加担する。ましてクライアントありきの広告やデザインの人間にとっては、当然のことなのだろう。

ところで今回の北朝鮮の攻撃は、戦争まで行くのだろうか。あの国にも大衆操作を担当している人々が大勢いるはずだ。

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